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【ゴルフせんとや生まれけむ】石原詢子<前編>「元テニス部なのに球に当たらない!?」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回からの語り手は、演歌歌手の石原詢子氏。

今は昔に比べて少なくなりましたが、私がデビューした頃、演歌歌手はキャンペーンや営業で全国を回ることがすごく多かったんです。同行してくれるレコード会社の担当者はほとんどみんなゴルフが大好きでしたし、空港の近くにはゴルフ場も多いので、キャンペーンの最終日はゴルフをやってから東京に帰るという予定を組むのがお約束になっていました。時には、ゴルフをやりたいがためにキャンペーンを入れた(?)というようなこともあったみたいですよ(笑)。ですから、バッグもゴルフ場からゴルフ場に送っていて、日本全国のゴルフ場でプレーしています。

ゴルフを始めたそもそものきっかけは所属事務所の社長の一言でした。私がデビューして間もない頃、ちょうどバブル真っただ中のゴルフブームの時で、ゴルフをやる人がとにかく多かったんです。そんなとき、社長がデビューしたばかりの私に「この業界で頑張ろうと思うのなら絶対にゴルフをやったほうがいい。一緒に回れば仲良くなれるし、夜の会食の席なんかでもゴルフの話題で盛り上がれるから」と勧めたんですよ。

学生時代はテニス部で、もともと体を動かすことが好きでしたから、すぐに練習に行きました。自分的には“球勘”というか、ボールを打つということに対するセンスはあるほうだと自信を持っていたんですよ。元テニス部ですから(笑)。だから、実際に練習に行く前、周囲の人が「ゴルフは難しい」という話をしていると「止まっているボールが打てないなんて!」と、内心思っていたんですよ。

ところが、いざ自分がやってみると想像していたのとは違って全然ボールに当たらないし、当たってもどこに飛んでいくのかわからない。みんなが言っていたように、ほんとに難しいスポーツなんだなとその時初めて実感しましたね。それでも、ある人が「うまくなりたいのなら、できるだけたくさんコースを回ったほうがいいよ」と言うので、2回だけ練習場の貸しクラブで練習してから安いクラブを買って、すぐにコースデビューです。場所はキャンペーンで行った福岡。太宰府ゴルフ俱楽部でした。練習も大してしていませんでしたから、もちろん途中で数えるのがイヤになるほど叩いて、結局スコアはまったく記憶にありません。スタート前のティーイングエリアでクラブのビニールをはがしたこと、終わってから同伴者に「詢子ちゃん、せめてルールだけは覚えてからコースに出ようね」と、やんわりお小言をちょうだいしたことは鮮明に覚えていますね。

ただ、自分でも不思議ですが、そんな悲惨な初ラウンドだったのにもかかわらずなぜかゴルフが嫌いにならずに、それからもずっと続けたんですよ。スコアはともかく、ゴルフは緑豊かな大自然の中で一日を過ごしてリラックスできるという、私にとって何物にも代えがたいスポーツだったからなんです。その心地よさにすっかりハマってしまったんですよ。それともうひとつ、私が生来の負けず嫌いであること(笑)。もしかすると、それも大きかったかもしれません。

後編につづく

石原詢子

1968年、岐阜県生まれ。石川さゆりに憧れ歌手を目指す。高校卒業後、上京し新聞配達店で住み込みのアルバイトをしながらレッスン通い。20歳でデビューし「みれん酒」「ふたり傘」などのヒットを飛ばす。現在「ただそばにいてくれて」で勝負中! 10/21(金)新曲「予感」配信リリース

週刊ゴルフダイジェスト2022年10月25日号より