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伝説のアマチュア、F・ウイメットの足跡をたどってボストンの公営コースへ

先頃、全米オープンの行われた「ザ・カントリークラブ」(以下、ザ・CC)は、伝説のアマチュアゴルファー、フランシス・ウイメットの“故郷”である。ザ・CC以外のウイメットの足跡をたどってみた。

ウイメットは11歳で家計を助けるべく、ザ・CCでキャディを始め、独学でゴルフを学んだ。高校3年のとき乾物屋で働き、その後スポーツ販売店で働く。彼の人生に奇跡が起きたのは1913年、20歳のときだ。ザ・CCで行われた全米オープンで、当時の超一流、英国人のハリー・バードンとテッド・レイをプレーオフで破って優勝したのである。その頃のゴルフといえば、プライベートクラブに所属する上流階級のものだった。彼の勝利以来、全米ではゴルフの大衆化が一気に進み、10年後にゴルフ人口は3倍に。公営ゴルフ場も急増した。

今年の全米オープンを観戦したJGAゴルフミュージアムの武居振一氏は、ウイメットの地元であるボストンのムニシパル(公営)コースを訪ねた。氏は英米のコース巡りを趣味としていて、これまで約400コースを訪ねている。

「ウイメットは労働者階級出身でしたから、修業は地元の市民コースでしたはずで、彼の痕跡探しです」(武居氏)

まず訪問したのはボストンフランクリンパーク内にあるムニシパルの、ウィリアム・J・ディバイン記念GC。設立は1896年10月。ウイメット3歳のときだ。実際のプレーはここが主になり、腕を磨いたのだ。米国では2番目に古いパブリックコースで、設計はザ・CCと同じくウィリー・キャンベル。スコットランド出身でザ・CCのプロでもあった。最初9ホールが完成、1922年にはドナルド・ロスによって18ホールと拡張された。それが「70ドルのフィー、たとえば五輪の舞台だった霞ヶ関CCが1万円以下でプレーできるのと同じ感覚だった」とも。

もう1つは、ハイランドパーク地区にある市営のジョージ・ライトGC。1938年設立、ドナルド・ロス設計。ルーズベルト大統領の政策として、世界恐慌後、積極的雇用を続けるための市営施設開発の一環として造られ、ボストンレッドソックスの名ショート、ジョージ・ライトの名にちなんだ。ライトは現役引退後にゴルフクラブの輸入販売を始めたが、この販売店の従業員だったのがウイメットであった。

ウイメットは生涯アマを貫き、1974年、ゴルフ殿堂入りを果たした。

週刊ゴルフダイジェスト2022年7月26日号より