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【陳さんとまわろう!】Vol.222「いいスコアで回るにはラウンド前の準備が大切です」

日本ゴルフ界のレジェンド、陳清波さんが自身のゴルフ観を語る当連載。故郷の台湾から日本に来て、2カ月後には日本オープンのタイトルを獲得した陳さん。徹底した準備が功を奏したという。

TEXT/Ken Tsukada ILLUST/Takashi Matsumoto PHOTO/Tadashi Anezaki THANKS/河口湖CC、久我山ゴルフ

いかに距離を出せるか。
その方法を考えながら練習した

――陳さんは1959年に日本オープンで劇的な優勝を遂げましたが、優勝するための周到な準備をして臨んだという話を聞きました。

陳さん はい。会場が相模原ゴルフクラブと聞いて、下見に行ったんです。そうしたら距離が長いんだねえ。7200ヤード以上あって、パーが74だ。12番のパー5なんか600ヤードを超えるんだよ。サードショットが3アイアンでやっと。そのほかのパー5も500ヤード超えていたり、近かったりでね。だから試合が始まるまでにフェアウェイウッドとロングアイアンを一生懸命練習したんだねえ。

――当時はクラブやボールの性能がいまほど優れていませんでしたから距離が長いと大変でした。


陳さん そうです。だからできるだけ距離を出せる方法を考えながら練習したんだ。あの8月と9月の蒸し暑い中でね。私が所属する東京ゴルフ俱楽部のプロはみんな涼しい地下室にこもっちゃってさ(笑)、練習どころじゃないって顔しているのに。そんな中で、優勝したいと思ってたくさん汗を流しました。キャディさん2人に協力してもらってね。1人は私のそばにいてボールをティーアップしてくれて、もう1人はボールの落ちる所にいてボールを回収してくれるわけね。

――練習はどういうものを?

陳さん やったのは、全部ローボールの練習。半分転がしながらグリーンにオンさせるようなショットだね。ハンドファーストに構えて、ダウンブローにボールをヒットする打ち方よ。するとボールは高く上がらないの。風に左右されにくいですから、ローボールはコース攻略に有効な手段なんですよ。それから私の持ち球のドローボール。これにも磨きがかかってきていましたからね、方向性についてもだいぶ自信がありました。

――その甲斐あって、土壇場で九州のベテラン島村祐正さんに追いついて……。

陳さん そう。相模原の東コースは17番と18番がパー5なんです。第4ラウンドの17番では、セカンドショットでどれぐらいの距離が残っていたのかな、ドライバーで打ったらグリーンに乗ったんだ。パー5で2オンなんて、経験ないことよ。ところがスリーパットしちゃって(笑)パーだった。せっかくのチャンスだったのにね。でも18番では右の林から打ったセカンドショットがグリーンエッジまで飛んで、それを1mに寄せてバーディをとったんですよ。これがよかったんだねえ。このバーディで島村さんとタイになって、プレーオフになったわけね。

――当時のプレーオフは翌日18ホールのストロークプレーでした。

陳さん 興奮していて寝不足でしたけど、5ストローク差で勝ちました。この日は10月1日で、私の28歳の誕生日だったんだ。願ってもない誕生祝いになりましたよ。

――この日本オープンは試合前の準備が奏功したいい例でしたね。

陳さん そう。準備は大事ですよ。せめてゴルフの当日、アナタたちもゴルフ場には早めに行って、30分はフルショット、30分はアプローチショットやパターの練習をやってね。柔軟体操もしっかりやるんですよ。それから大事なのは、ひとたびクラブを握ったら、若いときの気持ちを持つことですよ。昔のいいイメージや飛距離を思い出してさ。落ちたら腹立つぐらいにするとスコアも上向いていくんだよ。年だからってあきらめるのがいちばんダメよ。

陳清波

ちん・せいは。1931年生まれ。台湾出身。マスターズ6回連続出場など60年代に世界で日本で大活躍。「陳清波のモダンゴルフ」で多くのファンを生み出し、日本のゴルフ界をリードしてきた

月刊ゴルフダイジェスト2022年3月号より