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【ゴルフ野性塾】Vol.1703「素振りのスピードの変化が球筋を変える」

古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。

球一球と思いて生きて来た。

福岡市中央区赤坂のけやき通りの街路樹はけやきなれど、住んで20年、けやきの幹も大きくなった。
幹に手を当てる。
ガサガサの樹幹なれど、今の時期に手を当てても樹皮が剥れる事はない。2月が最も樹皮落ちる時だ。モロい。
20年5月、ギックリ腰をやった。動けなかった。
2カ月で治った。
何もせずに過したが気付けばギックリ前の腰に戻っていた。
8月、またやった。
治った。
11月、やった。
そして昨年、今年と痛み続く。
速く歩けなくなった。
速く歩こうと思えば前への突んのめりが生じる。
ヨボヨボ歩きになった。
「74歳にしては老いぼれ過ぎてるよ。世間の74歳はもっと元気だし、動きも速いぜ。親父の歩きは85歳だ。運動しようぜ。プロゴルファーだったんだからさ」
周りは私の動きの鈍さを心配して雅樹に突然の動きの鈍さの原因を問うて来るらしい。
「親父は眠ってるか、ソファに座ってテレビ観てるか、原稿書いてるだけです。運動全くせずの毎日ですが僕が運動させます」
腰が痛いと言って良くなるのならば幾等でも痛いと言ってやる。しかし、言っても変らぬのならば言うだけ面倒との気持ちがある。
私はトボトボと歩く。
女房が叫んだ。
「背中が丸いわよ!! もっと背中伸ばしてッ!!」
煩い日々に入った。
腰の痛み抜けたら、孫景登(けいと)の小学校の運動会に出てやります。
三世代リレーでネ。
ただ、今は走れない。
昨日、軽いギックリが来た。
ソファが軟らか過ぎるのかと思う。
それでは来週。

素振り5回、球打ち1球を練習せよ。 

ドラコンホールやパー5など、飛ばしたいホールに限って力んでしまってミスショットが出ます。その反面、飛ばす必要のないホールでは、思ったより飛距離が出ていて悔しい思いをしています。塾長、プロはココイチの飛ばしたいホールでどんな工夫をしているのでしょうか。(愛知県・鈴木智輝・32歳・ゴルフ歴6年・平均スコア100)


私も貴兄と同じ経験を持つ。
24歳になったばかりの時、栃木県の鹿沼CCに研修生として入社したが、ゴルフ歴ゼロのゴルフド素人研修生だった。
鹿沼の職員、メンバーの方からの冷笑はなかったと思うが、風変りな奴、物好きな奴との雰囲気は強く感じた。
好奇心なんて1週間で消えるものと思うが、私への好奇心は消えなかったと聞く。
朝と夜の闇の中、球を打ち続けた。
2階厨房のステンレスの作業台の上に夕食は準備されていたが、温かい内に厨房に行く事はなかった。
トンカツとキャベツの千切りと御飯が1週間に3回、残る4日間はカレーか牛丼の単品夕食だったが、いずれも冷め切っていた。ただ、量は多かった。品数ではなく、単品の量に救われる夕食だった。

10月の陽の落ちは早い。
練習終えてクラブハウスに戻るのは午後9時前後であり、冷えた食事を一人で食べ、それから風呂に入り、クラブハウスを出て寮へと向う時は10時を過ぎていた。寮迄は走った。そして、すぐに眠った。
朝は4時半に起き、5時には球を打っていた。
この単純、平凡、素朴な練習続く限り、好奇心消える事はない事を知った。
人の世には好意の好奇心と悪意の好奇心がある。
好意の好奇心は一途を育て、悪意の好奇心はやる気の芽を摘む事が多いと思う。
好意の好奇心あれば人は育つ。
鹿沼にはそれがあった。
時、過ぎて平成5年8月に熊本塾を開塾したが、好意と悪意の好奇心が塾と塾生に向けられた。私にもコーチ達にも向けられた。
好意の好奇心には少しの微笑み浮かべて頭を下げた。
悪意の好奇心は無視した。
それで増々、悪意は強まったが、それでも無視した。
「坂田は人を選んで挨拶しやがる」の声を聞いたが、人は見ていなかった。私に向けて来る雰囲気に対応しただけである。
最初にコーチ達への悪意の好奇心が消えた。次に塾生への悪意の好奇心が消えた。私への悪意の好奇心は消えなかった。
ただ、批判は消えた。
嫉妬があれば批判は消えても悪意の好奇心は残ると思う。
今も悪意の好奇心の眼線を感じる時がある。28年過ぎてもだ。
結構、しつっこい人間、多いんだな、と思う。それとも坂田塾が目立ち過ぎたのだろうか。
悪意の好奇心と戦う日々が来るなんて予測出来なかった。
私は塾生の努力を信じた。
努力が悪意の好奇心を好意の好奇心に変えるとは思わないが、悪意の好奇心消える事は分った。
だから塾生には球を打てと教えた。塾生等に私の気持ちを知る者はいなかったと思う。
練習せよ、と教わりました、それ以外の事は教えて貰っていません、とゆうのが塾生等の正直な気持ちではなかったか。手取り足取りの指導はボランティアコーチ達に任せていたが故にだ。
私の相手は塾の内よりも外にいた。そして塾出身者95名がプロテストに通り、12名がシード権を得た。
塾生以外の子供も指導したが15名がプロテストに通っている。

私は好意の好奇心持つ鹿沼で球を打ち続けた。
そして、貴兄と同じ経験をした。
私は打つ前の素振りで己を変えた。
パー5で力んだ。
痛い想い、悔しい想い、3回連続して経験すりゃ、学習能力に劣る私でも己を変える意識は強まるものだ。
鹿沼南コースの2番ホールは2オンの出来るパー5なれど、左がOBだった。鹿沼36ホールの中で一番OB打ったのが南の2番ホールだった。
鹿沼定休の月曜日、練習ボール50球持って2番ティーに立った。
鹿沼に入社して6カ月過ぎようとしていた時だった。
当時、私はフック球しか打てぬ研修生だったが、意識してフック球を打った。
スタンスも球の位置も変えず、フック球を打ち続けた。
2番ホール左は雑木の生い茂るOBゾーンなれど、フック球を打ち続けた。OBの中に飛び込んだ球を何球、探し出したのかは記憶にないが、探し出した球で次なる練習に入った。
素振り何回して球を打てばフック球筋弱まるかを知る為にだ。
ビュンビュンと強く素振り5回、最初は強く素振りして弱き素振りに移行する素振り5回、最初は弱く振って徐々にスピードを上げて行く素振り5回、そりゃ色んな素振りやりました。
そして分った。
強く1度、軽く2度、ゆっくりの素振り1度と4回の素振りやった後に球を打てばチーピン出ない事が。
私はゴルフ始めて3カ月、ドスライスしか打てなかった。
次の3カ月はドフックしか打てない日々になった。
そして、またスライスしか打てない3カ月に入った。
スライスとフック、3カ月周期で3回繰り返した後、右にも左にも曲らない球が打てた。
そしてプロテストに通った。
ゴルフ始めて3年と11カ月が過ぎていた。

貴兄へのアドバイスである。
練習場で素振り5回の後の球1球打ちをやって貰いたい。
その素振り、振りのスピードを変えた素振りがいいと思う。
人それぞれがある。それぞれは己で見付けねばならぬものだ。
「プロを目指すのであれば曲り行く球を正すな。どこ迄、飛んで行くかを求めよ。正しに行けば手先、腕先、姿勢、頭の知恵を使うから、それではいつ迄も己のスウィングは出来ぬ。正すな。見極めよ。球の飛び行く方向と飛距離を」
私の師の教えであります。
御自愛あれ。

坂田信弘

昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格

週刊ゴルフダイジェスト2021年10月19日号より