Myゴルフダイジェスト

  • ホーム
  • 週刊GD
  • 【ゴルフ初物語】Vol.56 日本人として初めてボビー・ジョーンズに勝った男。ニギリで5ドル獲得

【ゴルフ初物語】Vol.56 日本人として初めてボビー・ジョーンズに勝った男。ニギリで5ドル獲得

1929年11月に安田幸吉と宮本留吉がハワイアンオープンに参加し、日本人プロとして初の海外遠征を果たしたが、それから2年後には、このふたりに浅見緑蔵を加えた3人が初めて米国本土に遠征した。

エキシビションマッチで対戦

1931年11月、横浜を船で出発した一行は10日以上かけてサンフランシスコに上陸。西海岸を転戦するウインターサーキットに約3カ月間参戦した。安田幸吉、浅見緑蔵は翌32年の2月下旬に帰国するが、宮本はひとり米国に残り、テキサスからフロリダに入り東海岸を転戦するスプリングツアーに参戦した。すると日本のプロが初めて米国本土にやって来たことが話題となり、ボビー・ジョーンズとのエキシビションマッチが組まれることに。そして3月23日にそれは実現した。場所はノースカロライナ州のパインハーストリゾート。24年にプリンストン大学留学中の赤星六郎がパインハーストスプリングトーナメントで優勝した、日本人にゆかりのある地だ。

選ばれたコースはドナルド・ロス設計の「No.2」。ダブルスのベストボールで行われることになり、ジョーンズと前年の全米オープン覇者ビリー・バークが組み、宮本と組んだのは、その2年前に日本を訪れ、宮本ともラウンドしているビル・メルホーン。試合は2アップで宮本・メルホーン組が勝利し、ジョーンズは宮本に5ドル紙幣を手渡した。ジョーンズと宮本は個人的に握っていたのだ。

宮本はその後、6月に渡英し全英オープンに、そしてすぐに米国に戻り全米オープンにも出場。もちろん日本人初のメジャー挑戦者だった。ジョーンズはその後ほどなくしてオーガスタナショナルを完成させマスターズを創設。そして第2回大会に宮本を招待するも、宮本はすでに当時の日本ゴルフ協会のもとで日米対抗戦などに出場するため渡米予定があり、船便の変更が容易ではなかったことから辞退した。翌36年の陳清水、戸田藤一郎が日本人初のマスターズ挑戦者となっている。

ボビー・ジョーンズに勝った証しとして宮本留吉が受け取った5ドル紙幣。宮本はそれにジョーンズのサインを入れてもらい、家宝として大切にし、晩年、JGAのゴルフミュージアムに寄贈した

週刊ゴルフダイジェスト2021年10月5日号より