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【ゴルフせんとや生まれけむ】山本博<後編>「どんな状況でも“あるがまま”。それがゴルフのいいところだと思います」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、前回に引き続き元オリンピック選手の山本博氏。

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  • ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、メダリストの山本博氏。 日本体育大学に入学して2年目の1983年、体育の授業で履修したのがゴルフとの出合いでした。中1でアーチェリーを始めましたが、小学生時代には野球、体育大出身なので大学時代も多くのスポーツに触れました。なかでもゴルフは最……

ゴルフを始めた翌年の84年、ロサンゼルス五輪で銅メダルを獲ることができました。バリバリの現役選手で、次のソウル五輪での金メダルを目指していたのでアーチェリーに専念していましたが、ゴルフに触れる機会も徐々に増えました。

僕がゴルフをマメにやるようになったのは日本体育大学卒業後の86年、助手として研究室に入ってから。その研究室の教授と助教授が大のゴルフ好きでひと月に2回3回と行くんですけど、そのうち1回くらいは「山本も一緒に来い」って声がかかるんです。でも運転手なんですよ、実際は(笑)。今はそうでもなくなりましたが、その頃の日体大は体育会にありがちな強烈な縦社会でしたから、朝は教授を迎えに行き、ラウンド中は気を使ってプレーし、終われば風呂で背中を流して帰りはもちろん自宅まで送り届けるのが僕の役目なわけですよ。


運転だから酒も飲めないし、もちろんプレー代も食事代も全部自分持ち。「何だよ、おごりじゃないのか」と内心思っていましたね(笑)。でも、ゴルフそのものは面白かったので、教授から誘われるのは待ち遠しかったですね。その頃は世田谷のキャンパスに勤務していたので、うまくなりたい一心で多摩川の河川敷にマメに練習に通ったりしていましたね。ホントにハマっていました。 

日体大でゴルフを始めて良かったと思うのは、ホールアウトするまでボールには触らないという厳格なルールがあって、プレーは完全ノータッチが基本というスタイルを習ってきたことですね。だから今コンペに出てもノータッチしかできないんですよ。6インチOKとか言われても触れないし、どう触っていいのかわからない。1、2回やったことがありましたが、何となく落ち着かないんですよね、ズルをしているような気がして。どんなにドライバーがナイスショットしてもディボット跡の砂の上にあったら「マジか」と思うけどあるがままに打つ、それがゴルフのいいところだと思います。 

ベストスコアは去年出した85。レイク相模CCでした。僕はゴルフを始めてから20年ぐらいずっとスライサーだったんです。それがここ数年直ってきたと思ったら、今度はアイアンのダフリがすごくてそれが悩みの種でした。ちょうどそのラウンドの1週間前、クラブをスリクソンに替えたところ、それが良かったのか早速のベストスコア更新! 嬉しかったですね。 

若い頃はミスショットが出るたびに真っ赤な顔になって機嫌を悪くしたり、相手に勝ちたいと思ってムキになるようなこともありましたが、最近は僕も歳を取ったからかそんなこともなくなりました。スコアが悪くても穏やかな気持ちで緑の芝の上で楽しい1日が送れたな、楽しかったなと思えるようなゴルフですよ。気の合う仲間たちとのラウンドは僕にとって何ものにも代えがたい至福のひと時です。いいスポーツと出合えたなと最近つくづく思いますね。 

アーチェリーほどうまくはないんですが(笑)、これからもずっと健康でゴルフを楽しんでいけたらいいなと思います。

山本 博

やまもとひろし。1962年、横浜市生まれ。中学1年生からアーチェリーを始め、84年のロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得。その後20年を経て04年のアテネ五輪で銀メダルに輝き「中年の星」と呼ばれ話題に。現在、日本体育大学教授(医学博士)。ベストスコアは85

週刊ゴルフダイジェスト2025年4月29日号より