【名手の名言】ベーブ・ザハリアス「あの小さな白球は、あなたが打つまで動きません。しかし打ったあとは、あなたはどうすることもできないのです」

レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は、20世紀最高の女子アスリートとして名を馳せたベーブ・ザハリアスの言葉をご紹介!

あの小さな白球は
あなたが打つまでは動きません。
しかし打ったあとは、もうあなたは
どうすることもできないのです
ベーブ・ザハリアス
ベーブ・ザハリアスほど「女傑」と呼ぶにふさわしいアスリートはいないのではないだろうか。
なにしろオリンピックの槍投げ、80メートルハードルで世界新の金メダル2個、走り高跳びで銀メダル1個。高校時代はバスケットで全米選抜。男子プロバスケットに入ったこともあるし、野球の大リーグで1イニングだが、投げたこともある。
つまりはスポーツ万能で、「20世紀最高の女子アスリート」といわれた所以である。
そんな彼女が1934年、ゴルフの世界に入り、7年間で31勝(全米女子オープン3勝を含む)したのもうなずける話。
しかし、「ゴルフはミステリアス」だという、ゴルフを始めた一般のゴルファーと同じ感性を持ったのというのはおもしろいことである。
ベーブのような天才アスリートでも一般ゴルファーと同じ感性を持ったからこそ、表題の言葉を著書『チャンピオンシップ ゴルフ』の中で述べているのだ。
彼女がやってきたどのスポーツも自分の“ちから”で、ねじ伏せてきたものであろう。自分が能動的に動いて、人より速かったり、強かったりする。
しかし、ゴルフは止まっている球を打つのだから非常にやさしいはずなのに、難しい。打ったあとのボールを制御できない。それまでのスポーツと違って、自分の意志が100パーセント反映されない不可思議さ……。
打ったあとのボールは、いわば宿命論でしか説明できないもどかしさをベーブは感じていたはずである。
ガードルをゆるめる間
ちょっとお待ちになって
ベーブ・ザハリアス
古今東西、男女の別なく“アスリート・ゴルファー”のまさしくナンバーワンといえる、ベーブ・ザハリアス。
若いときはプロのバスケットと野球で生計をたて、全米陸上競技会では10種目にエントリーして、8種目で優勝。1932年のロサンゼルス・オリンピックでは、3種目(規定で個人エントリーは3種目まで)で金メダルを獲得している
ただし、走り高跳びは、ウェスタンロールという跳び方が淑女にあるまじきスタイルという変なルールで、金メダルは1個剥奪され、2個という記録が今に残っている。
このあと、ゴルフ界に入るのだが、表題の言葉はあるエキシビションのスターティング・ホールで聞かれたもの。
ところはあのA・パーマーのいたラトロープCC(米国ペンシルベニア州)。
このときパーマーは13歳で、ティーチングプロの父親と一緒に出場。ベーブは大ギャラリーの取り囲む中、朝イチのティショットを打つ直前、表題の言葉をもらしてから、会心のティーショットを放ったのだ。
湧き上がる歓声。ゴルフが扇情的になる一瞬。
パーマーはこのときの光景を後に語り、沢山の人を一瞬で虜にすることに驚愕したという。つまり、ベーブのそのときの1打が、後に全米を熱狂させたパーマーチャージ=“魅せるゴルフ”を生むきっかけとなったのである。
■ベーブ・ザハリアス(1911-56)
高校時代よりスポーツの各分野において非凡な才能を発揮し始める。バスケット、水泳、ダイブ、ライフル、ボクシング、ソフトボール、テニス……。陸上競技も始め、1932年ロスオリンピックでは槍投げと80mハードルで金メダル。ハイジャンプで銀メダル。その後、34年にゴルフも始め、現在のUSLPGAの母体をパティ・バーグらと創設。全米女子オープン3勝を含む31勝を挙げた。38年にプロレスラーのジョージ・ザハリアスと結婚。ベーブの名は当時のヒーロー、ベーブ・ルースにちなんだ愛称。 54年、AP通信社で20世紀最高の女性アスリートに選出された。しかし、前年にガンに倒れて手術。それが再発して、56年、45歳の若さで没。
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