Myゴルフダイジェスト

  • ホーム
  • コラム
  • 【名手の名言】ベーブ・ザハリアス「優勝はできなかったでしょうが、ビリでもなかったでしょう」

【名手の名言】ベーブ・ザハリアス「優勝はできなかったでしょうが、ビリでもなかったでしょう」

レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は、20世紀最高の女子アスリートとして名を馳せたベーブ・ザハリアスの言葉をご紹介!


優勝はできなかったでしょうが
ビリでもなかったでしょう

ベーブ・ザハリアス


1954年、AP通信社によって「20世紀最高の女性アスリート」に選ばれたベーブ・ザハリアス。表題の言葉は、彼女が男子の全英オープンに出場を申し込んだが、拒絶されたときのコメントである。

女性差別というよりは、当時、男子プロたちも戦々恐々だったからだろうといわれている。世界最古のジ・オープンを女性に獲られては、男の面目丸つぶれというわけである。

「彼女なら勝つかもしれない……」そう男たちに思わせるに足る十分な戦績をベーブは持っていたのである。

スポーツ万能といっても半端ではない。高校時代バスケットで全米選抜。その他、水泳、ライフル、ボクシング、テニス、ソフトボール……となんでもござれ。

陸上競技では1932年のロサンゼルスオリンピックで槍投げと80mハードルで世界新の金メダル。走り高跳びで銀メダル。

その後、ダンスでショービジネスへ。さらにプロバスケットに入り、大リーグのフィラデルフィア・フィリーズで1イニング投げたこともある。

そして34年にゴルフを始めるや、40年代に入って現在のLPGAの原型を創設し、48年~55年の間に31勝をマーク。そのなかには全米女子オープン3勝も含んでいる。

この輝くばかりの戦歴をみれば、男が恐れをなすのも無理はない。

男子のメジャー大会には出場できなかったが、レギュラーツアーには数試合出場し、予選通過も果たしている。その後もアニカ・ソレンスタムやミッシェル・ウィなど男子ツアーに挑戦した女子プロゴルファーはいるが、予選通過を果たしたのはいまだベーブ・ザハリアスただひとり。

ガンを患い45歳という若さで世を去ったが、その足跡はいまだ色あせることはない。

■ベーブ・ザハリアス(1911-56)

高校時代よりスポーツの各分野において非凡な才能を発揮し始める。バスケット、水泳、ダイブ、ライフル、ボクシング、ソフトボール、テニス……。陸上競技も始め、1932年ロスオリンピックでは槍投げと80mハードルで金メダル。ハイジャンプで銀メダル。その後、34年にゴルフも始め、現在のUSLPGAの母体をパティ・バーグらと創設。全米女子オープン3勝を含む31勝を挙げた。38年にプロレスラーのジョージ・ザハリアスと結婚。ベーブの名は当時のヒーロー、ベーブ・ルースにちなんだ愛称。 54年、AP通信社で20世紀最高の女性アスリートに選出された。しかし、前年にガンに倒れて手術。それが再発して、56年、45歳の若さで没。