【岡本綾子 ゴルフの、ほんとう】Vol.815「考え工夫する練習を積み重ねることが結果につながります」
米国人以外で初めて米女子ツアーの賞金女王となった日本女子ゴルフのレジェンド・岡本綾子が、読者からの質問に対して自身の経験をもとに答えていく。
TEXT/M.Matsumoto
日本ではがんばっていれば試合で使ってくれることもありましたが、欧米では結果のみが求められました。スポーツにおける努力と結果について岡本さんはどうお考えですか。(ゴルフ歴4年・欧州でプロサッカー選手経験のある40歳)
あの選手はがんばっているから試合に出してあげよう。
がんばっていることはわかりますが、条件はほかの選手も同じ。
公平を期すためには、結果が問われることになるのでしょう。
スポーツは、ルールに従い能力を競って優劣を争うものです。
勝敗はその結果であり、いかなる情実にも動かされません。
日本ではがんばっていれば試合で使ってくれることもあったと、あなたはおっしゃいますが、おそらくそんなことはないと思います。
なぜなら、それはプロの世界だからです。
結果は出せないけどがんばりだけ評価されることは、日本と欧米で違うことはないと思います。
ただ、気になるのは、あなたの質問の文面から感じる言葉遣いの曖昧さです。
質問の文章には「日本には努力してがんばっていたら試合に使ってくれる、認めてくれる気質がありますが、欧米では努力は見ることなく結果のみ求められることを肌で経験できた」とありました。
この文面からわたしが最初に感じたのは、「努力と練習は違う」ということです。
あなたは、もしかして練習と努力を混同していないかしら?
四六時中、練習をして体を動かしていれば努力したことになると思ってはいないでしょうか。
必死に考え工夫をして数字に結び付けることと、単に練習を重ねるのは別だということを分かっているかしら?
スポーツに限らず、会社でも若手社員からはこんな声を聞いたことありませんか?
「営業目標に届くように自分としては一生懸命やっているんです」
がんばっているけど目標達成には遠い。
これ以上どうしろと言うのですか、自分の努力も認めてください……。
大変だとは思いますが、目標設定値が厳しすぎるとしても、あなたと同じ条件のもと職場で競い合う相手がいる以上、その声は不満ではなく泣き言に聞こえても仕方ありません。
もともと、努力する、がんばるという言葉は、他人を評価するときに使うものであって、自分の振る舞いを表わす言葉ではないとも思います。
スポーツ、特にプロの世界でよく言われる「結果がすべて」という言い方は明快です。
奇跡のスーパーショットなど見る者を熱狂させるシーンの裏側には、得てして血と汗と涙のドラマが隠れているものです。
どんなプレーにもそれを実現するために準備されてきた過程があります。
気の遠くなるような練習の積み重ねという過程をなくして、そのナイスショットはあり得ません。
ですが、1ストロークの価値は不用意に打ったミスショットの1打と変わりません。
それが、結果がすべてという言葉そのままの意味なのです。
その言葉は、決して血も通わない冷酷な事実を表わすのでもなく、プレーのありのままを物語っているのです。
もちろん、同じ1打でも内容は十人十色、多種多様。
同じ打数でもほぼバーディと言えるパーもあれば、ボギー同然のパーもあるでしょう。
スコアの中身は、メンタルを含めたプレーヤーの過程を語りますが、評価の対象になるのは結果だけなのです。
はっきりした数字や結果を出すほうが、目標に立てることもできるはずです。
自分が積み重ねている努力や毎日取り組んでいる練習の内容を、ほかの人と比べても意味はありません。
そのような過程は、すべて試合の結果でしか測られないのですから。
ですから、なるべく自分自身を厳しく自己評価するクセをつけたほうがいいと思います。
自分を甘やかさず、自分をかわいそうとも思わず、どうすればいい結果を出せるか、常に考え工夫して練習を積み上げていけばいいのです。
努力が報われるかどうかはわかりませんが、もし全力で努力をしたのであれば、その努力はあなたの今後の人生を豊かにするヒントになるかもしれません。
「プロという職業は“結果”の世界です」(PHOTO by Ayako Okamoto)
週刊ゴルフダイジェスト2024年6月4日号より