Myゴルフダイジェスト

  • ホーム
  • 週刊GD
  • 【ゴルフ野性塾】Vol.1808「一つに繋がるのがプロの音」

【ゴルフ野性塾】Vol.1808「一つに繋がるのがプロの音」

KEYWORD 坂田信弘

古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。

前回のお話はこちら

時、穏やかに
過ぎて行く。

一日は24時間。
若い頃は24時間の使い様を考える事もあったが、今は成り行き任せ、周りからの拘束も少なく気儘な日々を過す。
守るは約束だけだ。
約束守る姿勢と態度崩さねば誠実な人の集う周辺で生きて行けると思う。
崩すは己の非。
責は己の身に受けるだけの事。

「不快な出来事が多くなったな。人を騙して楽しいのかの疑問は生じる。異なる民族、多く住む国の常識は騙される者が悪い、だ。しかし、単一民族住む国の常識は騙す者が悪いだ。日本は日本人が多く住む国。騙す者が悪い国であった。ただ、常識は変る。常識変化の潮目、生じている様な気はする」

「日本人は性善の時代、長く続いて来て油断が生じたのでしょうな」

「油断はあったと思う。疑問持たぬ素直さもあったろう。油断と素直さは使い様によって180度変るものだからな。そこを騙しの者は利用したのだ。80歳過ぎた方のお金を盗み盗るなんて地獄の閻魔様でもやらん事だ。詐欺、強盗の主犯は執行猶予なしの実刑30年でいいと思う。他に罰金2000万円だ。罰が軽過ぎる。詐欺犯の刑務所収監費用に使うんだったら税金の引上げに文句言う人、反対する人は少ないと思うぞ」

「珍しき発言ですネ。お金に関する意見、坂田プロから伺ったのは初めてです」

「頭に来てるんだ。日々の生活、質素倹約の中で老後の為と思いて貯めて来られた方を騙すなんて人間のやる事じゃない。許せないな。政治家の仕事だろう、詐欺への厳しき法令作るのは」

「確かにその通りだと思います。日本は甘過ぎます」

「人それぞれの考え、想いはあろうが、私と共にカフェラッテ飲むお前さん方18人は私と同じ考えでありたい。騙す者が悪く、騙される者に罪はないの考えは日本に残りし美徳と思う。日本の70%は山林だ。その山林と騙す者が悪いの性善説は日本の宝と思うぞ。我が子の為にも孫の為にも失っちゃいかんのだ」

皆、カフェラッテを飲んだ。
一気には飲まず、一口か二口コーヒーカップを傾ける飲み方だった。

スウィングの風切り音に耳を澄ませろ。


「音が聞える。崩れの音ではなく、強き風、吹き始めた音だ。逃げるな。背を向けてうずくまるな。私はスウィングの音を聞く時、眼を閉じた。そして、首筋を立てた。
ゴルフ初心者、ラウンドでまだ100切れない方のスウィングの音はバックスウィングで起きた。ダウンスウィングで音の出る振りは100切れるようになってからだ。ただし、その音、ダウンスウィング、移行してすぐの音じゃあったが。ダウンスウィング途中とインパクトの音、一つに繋がればラウンド80切れる方のスウィング音だ。スウィングの型、定まってないと起きる音は大きかった。型、定まった振りの起こす音は小さかった。
常識的考えならば上級レベルの方程、大きいスウィング音出すのではと考えるだろうが、逆だ。スウィングの型、定まらぬ方程、威嚇の音を出していた。威嚇の音とは事、始まらぬ前の音だ。殴り合い始まる前の啖呵だ。
ニクラス、バレステロス、岡本綾子、中嶋常幸の音は細かった。絹の音かと思った。太い音を出していたのは尾崎将司さんと倉本昌弘だった。ジョニー・ミラーの音も太かった。
私の観戦記執筆の旅はスウィングの音を聞く旅だったと思う。ミュアフィールドの全英オープン、倉本の音は太かった。世界の超一流、日本の超一流、いつも同じ音ではなかった。向い風、フォロー風、右からの風、左からの風で音の太さは変った。トッププロは4つの音を持つ事を知った。
私は一つの音しか出せぬ者であり、それが三流半の存在の証しだったと思う。プロの音はインパクト直前からインパクト後迄、一つに繋がる音だ。ゴルフ始めた人はアドレス近くで音を出し、インパクト近くなる程に音は消える。超一流は逆だった。4つの音、それぞれがインパクト直前で起きる音だった。この私の経験話に科学的根拠はない。首筋を立てた耳に入って来た経験話だ」

「私には聞く事の出来ぬ音だと思います。音を出す人、音を聞く人、それぞれがプロの領域に棲む人とゆう気はします」
「私の鼻と耳は人様より敏感だったと思う」

陸上自衛隊に2年いたが、富士山麓での3日間の演習、初日の夜、煙草の煙の臭いを感じた。
煙草吸ってる人がいます。煙草の火、敵から見つかりませんか? と小隊長に問うた。
「今日の演習はもう終った。しかし、分るのか、煙草の煙がッ。この部隊の周りに人気はない。そしてこの小隊で今、煙草吸ってる者は一人もいない。許可していないのだからな」
小隊長は調べた。
50メートル離れた地点、別の隊が休憩していた。
そして喫煙の許可が出ていた。
その煙草の煙だったらしい。
小隊長は中隊長に私の嗅覚の強さを報告し、中隊長は大隊の朝部会で報告したと聞く。
自衛隊に入って9カ月過ぎた時だった。
私は煙草1本の煙で有名になった。斥候部隊に転じる気はないかと問われた。
2年で除隊し、プロゴルファーを目指します、と答えた。
そして、2年で自衛隊を辞し、栃木県の鹿沼CCに入社した。

24歳、遅れて来た研修生、研修生生活1年持てばいい方だろうと周りは言ってたと聞く。
確かに私は周りの予想通り鹿沼CCに1年いた。
ただ、ゴルフは止めなかった。
愛知県の貞宝CCに移り、橘田規プロの指導を受け、2年と11カ月後にプロテストに合格した。
ゴルフ始めて3年と11カ月での合格は早かったと思う。
鹿沼に戻り、ツアー参戦した。
耳も良かった。
以下、次週稿―――。

坂田信弘

昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格

週刊ゴルフダイジェスト2023年12月12日号より

>>坂田信弘への質問はこちらから