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【ゴルフ野性塾】Vol.1807「一日400球で私の考えは変った」

KEYWORD 坂田信弘

古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。

前回のお話はこちら

今年2月から
始めた

西新ゴルフセンター通いなれど、球一球打つ前と打った後の思考は持たずに打ち続けて来た。
無と有は一つの軸の左右のタイヤと思う。進化と退化も一軸の左右の輪であろう。
私は想う。
無在りての有、有在りての無が自然であり、進化在りての退化、退化在りての進化も自然なのではと。
だから両極のいずれかの否定は最善ではないと思う様になって来た。
熱いカフェラッテを熱いと思えば季節、晩秋の訪れ。

そして気付いた。
野性塾大濠公園18人衆の飲むコーヒーが皆、カフェラッテになっている事に。
集い最初の頃、ストレートコーヒー飲む者もいれば紅茶飲む者もいたと記憶する。
それが今、18名全員、カフェラッテのホットを飲んでいた。
私に合せた訳ではないと思う。
部屋の外で飲む時、飲み易いのは、そしてうまいと思うのはカフェラッテだったのであろう。

私は赤坂けやき通りの15階に住むが、15階建てのマンションを出て左へ1分でセブンイレブンがあり、右へ3分歩けば西鉄のバス停だ。
そしてバス停から3分歩けばスーパーマーケット、サニーがある。
今、私は速くは歩かないが、一歩の歩幅、広くなって来た。
以前はサニー迄7分かかっていたが、今は6分を切る。
西新ゴルフセンターへはバスで通う。
赤坂2丁目のバス停から8つ先が練習場。
20分から30分で練習場に着く。
そして1時間半の打席使用、400球から450球打ち続けて来た。

1球打つのに6秒から7秒。
我が身に進化はない。
体・技・心、総てに於てだ。
ただ、善き変化、悪しき変化はあった。
それだけの事。
11月8日の水曜日、布製の買物袋を2つ持ってサニーに行った。
蜜柑40コ買った。
買物袋2つに分けて持ち上げたが重かった。
ズシッと来る重たさだった。
サニーを出た時、幸運にもタクシーが来た。
乗った。
大濠公園美術館前で降りた。
スターバックスへと向った。

「まだ、うまいと思うには早いな。2週間、早過ぎたか。私はせっかちで焦り過ぎの性分持ち故に、やらなきゃならんと思ったら急ぎ過ぎてしまう時がある。分っちゃいる、急ぎ過ぎたと。でも人様に迷惑掛けなきゃいいと思えば、性分曲げる必要もないと思って今迄過して来た。この蜜柑一人2コだ。カフェラッテに合うかは分らんが食べてくれ、風邪の予防になるビタミン補給と思って」

18人は食べた。
皆、上品な食べ方をしていた。
育ちのいい男達と思った。

過去と今の才能は音で分る。


箸の持ち方で親の育て方は分る。
だから親として恥かしい想いしたくなければ、我が子の箸の持ち方だけは厳しく、と教えてくれた人がいた。
長男雅樹が生れた時だったから45年前。
所属していた周防灘CC近くの農家の方だった。
我が子供の躾、箸の持ち方と鉛筆の持ち方だけは口出すつもりでいた。
妥協する気はなしだった。
しかし、口出しの必要はなかった。
女房が丁寧に根気よく長男雅樹と長女寛子の箸の持ち方、鉛筆の持ち方を教えていた。
私に教える事は何もなかった。
でも何か一つ、長男雅樹と長女寛子の記憶に残るもの、与えたいと思った。

ツアー参戦、そして執筆と生きる場は広がったが、たまの帰宅、女房に頼んだ。
煮魚、焼魚、作ってくれ、それも地魚で、と。
女房は作った。
周防灘の地魚は小振りだった。骨も多かった。
私は丁寧に食べた。
長男雅樹は私の食べ方を見て魚の食べ方を覚えていたと思う。
今、雅樹の食べ方は綺麗である。長女寛子も綺麗だ。
我が子2人、他に自慢するものは何もない。

私は父から魚の食べ方を教わり、箸の持ち方は母から教わった。
そして、長男雅樹も長女寛子も魚の食べ方は私から教わり、箸と鉛筆の持ち方は女房から教わっている。
あと、親に出来る事は飢えなき日々、あればいい。
親に出来る事はある。
親がやらなきゃいけない事もある。
そして、親に出来ない事は世間様がやってくれる。
それが平和だ。

蜜柑を食べ、カフェラッテ飲みながら話した。
「質問あるか? あるなら聞く」
年長の者が問うて来た。

「坂田プロの教えでプロテストに通った人115名おられますが、その方達の才能、最初から分っていたのでしょうか? それとも後で花咲いた才能だったのでしょうか? 私はそこに興味を持ちます」

「私はゴルフしか分らん人間だ。それもツアー生活は三流半の人間。人様に威張れる成績は何もなし。コースレコードは幾つか作った。優勝経験もある。だけどそんなもん、一流のプロと較べりゃ可愛いもんだ。そうだな、見える才能、見えない才能、周りが認める才能、周りが気付かぬ才能を知りたい訳か。そして一般論じゃなく、私の経験を知りたいのだな」

「そうです。坂田プロは一般論を語る方ではありません。坂田論を語る方です。その語りは私達にとっては強烈でした。坂田プロとの出会いの時から現在迄、その強烈さは続いております。社に戻れば、今日の話は何だった? と問うて来る上司が増えております。皆、プロの世界はどんな世界だ、との興味は持っている筈です。そして才能に興味あります」

蜜柑1コ食べた。
皮を丸ごと剝いて、丸ごと口の中に放り込んだ。
それが熊本の男衆の食べ方、と父は教えた。
3コ目の蜜柑だった。
18人衆は一人2コで36コ。
私が4コ食べれば残る蜜柑はなしだ。

「才能は音だ。音で過去と今の才能は分る。教える側も教わる側も、初心者の才能もゴルフ歴60年の才能も音に宿る。長い話ではない。ただ、今日も寒い。途中、熱いカフェラッテが欲しい」

聞く者達の迫りの気迫を感じた。
全員の気迫を感じるのは初めてだった。
一日400球の球を打ち始めて私の考えは変った。
気付く事、多くなった。
ただ、想いは変っていない。
私はゴルフが好きだった。
人間も好きだった。
以下、次週稿―――。

坂田信弘

昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格

週刊ゴルフダイジェスト2023年12月5日号より

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