【ゴルフせんとや生まれけむ】新井宏昌<後編>「ベストスコアは7バーディの“70”。今はレギュラーティーからエージシュートが目標です」
ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、前回に引き続き、元プロ野球選手の新井宏昌氏。
プロ野球の世界では南海で11年、近鉄で7年、通算18年プレーしました。南海時代は大阪の南のほうのゴルフ場でラウンドすることが多かったのですが、近鉄時代は奈良方面が多くなりました。南海沿線と近鉄沿線の違いですね。
そして現役を引退する前の年か引退の年に、母校・PL学園の横にあるゴルフ場、聖丘カントリー俱楽部のメンバーになりました。ちょうどそのころ、私たちが甲子園に出場したときの野球部の監督が退任され、聖丘カントリー俱楽部の総支配人になりました。普段からあれこれ便宜を図ってもらっていたこともあり「メンバーになります」とメンバーになりました。最初にいただいたハンディキャップは13でした。そして現役を引退した翌年、41歳のときにメンバーコースで初めて競技会に出ました。その競技会で2位に入り、シングルのハンディキャップをいただきました。
聖丘カントリー俱楽部のハンディキャップは8でした。でも、競技会に出たのはその1年だけです。翌年からはプロ野球のコーチをずっとしていましたから、それ以降は競技会に出ることはありませんでした。聖丘カントリー俱楽部は数年前に退会しまして、今は六甲国際ゴルフ俱楽部のメンバーになっていますが、こちらでも競技会に出たことはないです。今のハンディキャップは7です。
40代の半ばくらいのときに一度だけ70というスコアで回ったことがあります。それがベストスコアです。70が出たときはバーディが7個取れたんです。ダブルボギーが2個ありましたから、ボギーが1個でパーが8個ですかね。今はとてもじゃないけどそんなゴルフはできません。今のラウンドの目標はハーフのどちらかを30台で回ることです。でも、我々アマチュアはお昼に休憩して食事をしますから、前半は調子がよくても満腹になった後半にガタッと崩れることがあります。しかも私はラウンドの後半になると足がつりそうになってくるんですね。水分はしっかり補給していますし、漢方薬を飲んだりしたこともあるのですが、足がつるクセが治りません。体力温存のためにカートに乗るようにしているのですが、それがいいのか悪いのかもわかりません。この前、家を引っ越して山手のほうに住むことになりましたので、ゴルフ場で足がつらないように坂道を歩いて足腰を鍛えます。
昨年4月に70歳になりましたから、もうゴールドティーで回れる年齢なのですが、「えっ、70歳ですか。そんなふうには見えません」と言われると気分がいいので(笑)、今もレギュラーティーで頑張っています。いつの日かレギュラーティーでエージシュートを達成してみたいという願望があります。
それと(娘婿でラグビー日本代表の)稲垣啓太くんとはいつか一緒に回ってみたいですね。彼も中学まで野球をしていたので、ボールをつかまえるのは上手なんじゃないかなと思います。
私はいつでもヒマなので(笑)、ラグビーのシーズンが終わってゆっくりできるときがあれば彼と回りたいですね。
新井宏昌
あらい・ひろまさ。1952年大阪府生まれ。74年ドラフト2位で南海(現ソフトバンク)に入団。85年まで活躍した後、トレードで近鉄(現オリックス)に移籍。87年に首位打者のタイトルを獲得。92年に2000本安打を達成。同年現役引退。現在は解説者として活躍
週刊ゴルフダイジェスト2023年7月18日号より