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【ゴルフせんとや生まれけむ】新井宏昌<前編>「たまたま追加したハーフラウンドでホールインワン!」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、 元プロ野球選手の新井宏昌氏。

私はPL学園の野球部出身です。野球部の寮から学校まで歩いて20分くらいかかるのですが、その通学路の横にゴルフ場がありました。ゴルフ場の名前は羽曳野PLカントリー倶楽部、今の聖丘カントリー俱楽部です。

ですから平日の朝8時前にゴルフ場の横を通るとき「平日にゴルフをプレーしているのはどんな人たちなのかな」「自分も大人になったら平日にゴルフができるような人間になれたらいいな」と思いながら学校に通っていました。

初めてクラブを握ったのは高校3年生の夏の甲子園が終わったころでした。同級生たちと「ちょっとゴルフの球を打ってみないか」という感じで、ゴルフ場の横の練習場に行ってボールを打ちました。野球をしていましたから、止まっているボールを打てるのは当たり前にできると思っていたのですが、ボールには当たるものの思うような方向に飛んでくれませんでした。それを何回か繰り返していると苦情が来ました。「PL学園の生徒がどうして練習場でボールを打っているんだ」というようなことを言われまして、野球部の生徒が練習場に行くのは禁止になりました。

次にクラブを握ったのは法政大学の1年生のとき。私の兄たちがゴルフを始めていましたので、夏休みか冬休みに大阪に帰ったときゴルフ場に連れて行ってもらいました。そのときに買ってもらったのかな、パワービルトのクラブを持っていた記憶があります。私は左打ちですからクラブ選びに苦労したぶん、今までに使ったクラブのことはよく覚えているんです。そのクラブで大学時代は1年に1回くらいゴルフ場でラウンドしたと思います。

プロ野球の世界に入ってからは、シーズンオフには球団のゴルフコンペなどもありましたので、ゴルフはやらなきゃいけないことという感じになりました。それでもシーズンが終わってから合同自主トレが始まるまでの間、11月と12月に何回か行く程度でした。コンペですから、いい順位に入りたいという気持ちはもちろんありましたが、そのためにたくさん練習したわけではありません(笑)。でも、100を切ったのは割と早く、20代のうちに80台で回れるようになりました。

私は昔も今も、自分からゴルフに行こうと誘うタイプではなく、誘われたら行くタイプの人間です。なのでラウンド数はそんなに多くありませんでした。プロ野球以外の方からゴルフに誘われることもあるのですが、スケジュールがなかなか合いません。ただ、南海時代にチームを応援してくださっているお医者さんのグループがありまして、その会合のコンペに参加したときのことが印象に残っています。1ラウンドが終わって時間がまだあったので、もうハーフ回ろうかということになり、追加ハーフでホールインワンが出たのです。その会合には会則がありまして、ホールインワンをすると全員から1000円ずつご祝儀で、お返しはナシということになっていました。私はまだ20代のころでしたから、その会則はとてもありがたかったですね(笑)。

>>後編につづく

新井宏昌

新井宏昌

あらい・ひろまさ。1952年大阪府生まれ。74年ドラフト2位で南海(現ソフトバンク)に入団。85年まで活躍した後、トレードで近鉄(現オリックス)に移籍。87年に首位打者のタイトルを獲得。92年に2000本安打を達成。同年現役引退。現在は解説者として活躍

週刊ゴルフダイジェスト2023年7月11日号より