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激闘! ニクラスとワトソンの世代交代劇(1977全英オープン)【記者が見た“勝負のアヤ”】

記者生活50年を超えるベテラン記者・ジョーが、長い取材生活のなかで目の当たりにした数々の名勝負の中から、いまだ色あせることなく心に刻まれているエピソードをご紹介!

77年の全英オープンでは最終組でニクラスとの激闘になった。そして4月のマスターズに続いてニクラスに競り勝ち世代交代を決定づけた

【1977年 全英オープン】

「本当は、ワンショットのミスも犯せなかったのが怖かった」(トム・ワトソン)

トム・ワトソンが初めて日本の試合に出場したのは、71年秋にツアー参戦してまだ2年目の73年。第1回サントリーオープンで、コースは静岡県の愛鷹シックスハンドレッドクラブだった。ティーイングエリアに腰掛け遠くの山並みを眺めていた若きワトソンは、見知らぬ国に来て戦うことにまだ慣れていないのか、孤独感を漂わせて寂しそうだった。

翌74年に長い歴史を誇るウエスタンオープンに勝つと賞金ランキングを10位とし、多くのメディアに登場するようになると人気も高まっていく。そして帝王として君臨してきたジャック・ニクラスの座を狙う若手として注目を浴び始めると、77年にマスターズを初制覇。いよいよ「若手時代の到来か」と言われるなかで、同い年のトム・カイトも台頭し、3歳年下のベン・クレンショーも73年にプロデビュー戦のテキサスオープンで勝ち、ギャラリー数は増える一方だった。

77年の全英オープンは、スコットランドのターンベリーだった。

前年の賞金王である帝王ニクラスは4月のマスターズでワトソンに敗れていたため、ニクラスがどのような戦いぶりを全英で見せてくれるのかと、多くのゴルフファンが注目した。するとワトソン68、70に対してニクラスも68、70と同スコアで予選を通過し首位に1打差。3日目、ワトソンとニクラスは同じ組になった。

詰めかけたギャラリーは両者による激闘を期待した。英国ではスポーツのイベントは伝統的に賭けが行われ、ゴルフも例外ではない。全英オープンの優勝予想は、ジャック・ニクラス、トム・ワトソン、ヒューバート・グリーン、リー・トレビノの順で、誰もがニクラスの優勝を想定していたに違いない。

だが、この組み合わせはニクラスにとって多少の問題があった。帝王を何とも思わない若者が相手だったからだ。しかも4月のマスターズでニクラスはワトソンに敗れている。試合の行方は3日目を終え同スコア。ふたりが最終日最終組になった。

大詰めの15番、ワトソンは18メートルを沈めてバーディで追いつく。並んで迎えた16番グリーンでは、位置こそ違うがピンからほぼ同じ距離。ニクラスは、ワトソンのほうが遠いと思い、先に打てと促す仕草を見せた。だが、ワトソンはひるむことなく歩測を始め、ピンまで10歩。ニクラスのほうが12歩で遠かった。結局このホールは両者ともパーをセーブ。だがワトソンは17番でバーディを奪い1打リード。そして迎えた最終18番。2打目を先に打ったワトソンがピンそばにつけると、ティーショットを右へミスしたニクラスもグリーンオン。そこから12メートルのロングパットを沈めて意地を見せるが、ワトソンが短いパットを沈め優勝。「新帝王」ワトソンの誕生だった。

73年のサントリーオープンに参戦したワトソン。“ヤングライオンズ”と呼ばれた新世代の選手のひとり

文・構成/ジョー(特別編集委員)
年齢不詳でいまだに現役記者。ゴルフダイジェスト入社後、シンガポール、マレーシアをはじめ、フランス、モロッコ、英国、スイス、スウェーデン、イタリア、アメリカ、カナダ、メキシコ、中国、台湾、アラブ首長国連邦、オーストラリア、ニューカレドニア、タイ、インドネシアなどでコース、トーナメントを取材。日本ゴルフコース設計者協会

週刊ゴルフダイジェスト2022年5月3日号より