【ゴルフ野性塾】Vol.1721「人の世を教えてくれる男がいた」
古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。
慣れは器用なり、と申す。
また、慣れは才能、とも申す。
ゴルフを始めて50年、今、74歳から75歳へ向う途中の我が身なれど、その途中、小さな驚き、小さな感心、そして大きな興味に出会った事は多い。
私の経験で申すが、稽古事、鍛錬事、戦い事に興味は必要だった。驚きの気持ちが薄れ、感心の気持ちが遠のき、興味心去り行けば努力の重心は傾くと思う。
傾けば体・技・心のバランスは崩れる。
事を為す時、継続は必要と思うが、体・技・心の調和が継続の力を生むと思って来た。
人は幾つもの力と結果を生む。
勿論、人、それぞれの力であり結果であろうが、その力は己の中の驚きと感心と興味が生む力であったと思う。
この50年、大きな驚き、大きな感心に出会った事はなかった。
ただ、大きな興味持った事は多かった。
ドライバー飛距離はゴルフの才能。
私がプロゴルファーとして成功しなかった理由は大きな驚きと大きな感心持つ人間でなかったからではと考える。
成功した人間は大きな驚き、大きな感心、そして大きな興味持てる人間性持っていたと思う。
表に出る才能と表に出ない才能がある。
驚きと感心と興味は表に出ない才能であろう。
ドライバー飛距離、距離コントロールの上手さは表に出て来る才能である。
だが物事には表と裏があり、才能にも表と裏はある筈だ。
楽しみたいとの声を聞く。
どの様な結果であってもその結果に満足し納得したいとの声も聞く。
その声、時に罵倒であり、祈りとも聞こえるが、我が身を振り返れば戦う前から楽しみたいと思った事はなかった。
そして、戦いの途中もだ。
優勝6回の内、トロフィーのある試合は1つだけ、残りの5つは賞金だけの三流半の戦績なれど、満足と納得心、持てた事はなかった。どこかに不満と不十分さを感じていた。己に驚き、感心したりする事は全くなかった。
人は肯定と否定持つと思うが、私は人、それぞれと思う肯定感情持つ者であり、プロゴルファーの成功得るには否定の感情必要であったかと考える事は多い。
己の入る器が違っていたかと思ったりもした。
だが、大きな出会いは一度、大きな別れも一度が人の生き様と思って来た。
福岡は赤坂のけやき通りの15階の部屋で過す日々、もうすぐ丸2年となるが、眠る前、窓の外を眺める習慣がついた。
それ迄は1日24時間で過す日々だったが1日24時間を8時間に区切る生活を始め、大きな1日を小さな3日間とする生活に入ったのです。起きて風呂に入って食事して音楽聴いて眠れば8時間が過ぎる。
その8時間を3回繰り返せば24時間、コロナ前の一日である。
途中、原稿を書く。
飲むは水かお茶。ジュース類は全く飲まない。砂糖の甘さに敏感になった。菓子もケーキも食べない。原稿執筆前と執筆中、板チョコ1枚と豆菓子半袋食べていたのにだ。
考える事は多い。想う事も多い。私は嫉妬心、稀薄な人間である。だから人様の嫉妬心に鈍感であった。
「坂田プロは強いですネェ。坂田プロがやって来た事と生き様への嫉妬と反発は強かったと思いますが総て無視されて来たんでしょ。嫉妬心と怒り露(あらわ)にする人間の前では笑っておられたと聞きました。それで相手の怒り頂点に達したと言うじゃありませんか。火に油を注ぐんじゃなく、油に爆弾を放り投げる様な笑いだったんじゃないですか」
「俺は知らんぞ。俺に嫉妬するなんて小粒小者だな。もっと大粒大物に嫉妬すりゃ面白いと思うが」
「でもゴルフ業界、執筆業界じゃ有名な話ですよ。そりゃ相手にされなかったら怒りますよ、一体、どんな笑いされてたんですか。やってみて下さいよ」
5年前の事なれど暇な奴がいた。私も暇だったから付き合ってやった。
「5つか6つの笑いするがどの笑いが怒りと嫉妬心強めたかはお前さんの判断に任す」
私は作り笑いをした。
顔面神経麻痺リハビリした時と同じ顔の動かし様だった。
「一緒ですネ。気持ち悪いですよ。その笑いじゃモテません。女性は逃げますネ。お金に興味があったとしても」
「お前の暇に付き合ってるだけだ。しかし、俺の笑いが引き金とはな。暇な奴が多いのォ、日本は」
「才能への嫉妬、成り金様への嫉妬もあったんじゃありませんか。坂田プロは財布持ってませんよネ。裸銭をポケットに入れてるんでしょ」
「そうだ。財布に入れてるとなぜか置き忘れ生じてな。左の後ろポケットに1万円札、右の後ろポケットに5000円と1000円札、左前ポケットにクレジットカード入れに3枚のカード入れて、右前ポケットには小銭と携帯電話入れてる。それで置き忘れはなくなった」
「何から何迄、バッグに入れてたらバッグへの集中要りますから疲れるんでしょ。年取ると特にそうだ」
「そうだ。ポケットから出したらすぐにポケットに入れるが一番安全の習慣だ。お前、分ってるじゃないか」
「そのお金の厚さが問題なんですよ。薄けりゃ嫉妬もないでしょうが、厚けりゃ問題だ。海外でもそうなんですネ」
「そうだ。ただ、ポケットの中で1枚か2枚取り出すから問題はなかろう。日本とはそこが違う。日本は安全の国だ」
「驚きと嫉妬心と怒りを相手に与えてますよ。それは問題だ」
「お前も持つのか、嫉妬心」
「当り前じゃないですか。見せ金はイヤらしいんです。成り金の一番イヤな部分だ」
「俺は成り金か?」
「成り金です。イヤらしさコテコテのッ」
「コテコテ成り金か。そりゃ面白い。確かにそうだ。財布の中に一万円の束、入れてる人の財布を覗き見した事があったもんな。俺が貧乏の時だったが、しかし嫉妬心も羨ましいとも思わなかったけどな」
「例外ですよ。その感覚はッ。世の例外を己の常識、己の価値観の中心に置いちゃ駄目ですよ」
私に人の世を教えてくれる人間だった。
密柑好きな男だった。昨年の5月、男の体の中でガンが見つかった。12月、密柑10キロを送った。今年の1月、また10キロ送った。熊本の河内密柑。
「おいしい。嬉しい。本当に有難うございます」と言って来た。
「今年はもう終りだ。9月になったらまた送る。河内の密柑農家と知り合いになったから毎月送ってやる。指先の黄色さ取れない程、皮むいて食べてくれ」
「有難いですよ。ビタミンCに不自由なしですネ」
転移多く、外科手術出来ず、免疫療法は間に合わず、抗がん剤治療のみとなっていたが、その抗がん剤治療も効かず、4月の桜、見る事出来なさそうだの連絡が入った。
密柑を探した。
どこにも無かった。
「何とかならんのか。探してくれ。ただ、皮に元気のない密柑は駄目だぞ」
「何ともなりません。総て農協に出荷し終ってます。9月を待って下さい」
いいスウィングで球を打つ男である。杖をついて歩いていると言った。
足の筋肉が落ち、もうゴルフするのは無理だと言って来た。
デコポンがあった。
送る。私も食べる。いい奴だ。
どうして私より年下の男が逝くのか、と思う。順番が違う。
今日2月9日。現在時、午後1時55分。窓の外は晴れ。
薄い雲、流れずに同じ位置に形を崩さずに浮かんでいる。春にはまだ遠い冬の空。
私より7歳年下の男が大阪で女房と共に過す。過せる日は2カ月半。会いに行きたいが行けない。ガンもコロナも憎い。
憎んでどうにかなるわけじゃないがクソッタレが、と思う。
窓の外を見る。雲、同じ位置だ。南の日射しがビルを照らす。今日も晴れ。飛行機が降りて来た。キラッと輝いた。また輝いた。現在時、午後2時15分。
坂田信弘
昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格
週刊ゴルフダイジェスト2022年3月1日号より