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【ゴルフせんとや生まれけむ】岩瀬恵子<後編>「アメリカ転勤でゴルフ三昧」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、前回に引き続きアナウンサーの岩瀬恵子氏

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入社以来ハマっていたゴルフも仕事が忙しくなって、少々熱が冷めてきた89年、ゴルフ好きの主人と結婚したことでまた2人で行くようになりました。新婚旅行はフランスのニース。ゴルフとは結びつかないところですが、そこでもラウンドしましたね。手引きカートだったこともあってあまり楽しくなかったですけど(笑)。次の年も主人とスペインのコスタデルソルでプレーしました。素敵なコースでしたね。それにしてもニースだ、コスタデルソルだって今思うとバブリーでしたね(笑)。私たちだけじゃなくて、世の中がそんな時代だったんですよ。

そうこうしているうちに91年、ニューヨーク支局へ転勤になりました。単身赴任なので週末は暇ができました。ですから、2年9カ月駐在している間、ひたすらゴルフに打ち込んでいましたね。ニューヨークですから真冬はかなり寒くなります。それでも構わずにやっていましたから、ラウンド数は数えられないくらい。そのせいで運動神経皆無の私は「死ぬまでにできればいいなあ」ぐらいに思っていた100切りも帰国する直前にクリア。「ことのほか早く達成できたなあ」という感じでしたね。


94年に帰国した後、私と主人は夏休みになると、アメリカのゴルフダイジェスト社が出している“死ぬまでに一度はプレーすべき5つ星のコース”を紹介している本に載っているコースを回っていました。ペブルビーチ、ブラックウォルフラン、TPCソーグラス、パインハーストなど、有名なコースにもずいぶん行きましたね。そして、97年に会社を辞めてフリーになっていた2002年、今度は夫がアメリカ転勤になったんです。それもロサンゼルス! これは一緒に行くしかない(笑)。いわゆる、駐在員妻になって、3年間は腱鞘炎になるくらいやりました。おそらく年間100ラウンドはしたんじゃないかな。おかげで生涯ベストの83が出たのもこの時でした。

今、私はゴルフの再デビューを果たしたところなんです。というのも、1年半くらい前に末梢血管の炎症という難病にかかり人生初の入院を経験したんです。一時はまったく歩けなくなって「ゴルフなんてもうとてもできない」と諦めていたほどでしたが、それでもなんとかプレーできるまでに回復しました。

病気になる前はレギュラーティーから常に100を切りたいという目標がありましたが、今はもうそれはどうでもよくなりました。いくつなってもゴルフができればそれでいいです。今のいちばんの夢は聖地セントアンドリュースでプレーすること。アメリカのゴルフ場では嫌というほどやったというのに、スコットランドやアイルランドでは一度もプレーしたことがないんですよ。病気になる前に私たち夫婦を含めた友だち4人で計画して、ツアーだと高いからと自分たちで航空券を取ったりして準備したんです。でも、抽選で落ちてしまってその時は泣く泣く断念しました。今、コロナ禍で海外旅行にはなかなか行けない状況ですからいつになるかはわかりませんが絶対に実現させたい、私にとって究極の夢です。


岩瀬 惠子

1963年東京都生まれ。86年にアナウンサーとしてフジテレビ入社。97年退社後はフリーとしてゴルフ中継のレポーター、ゴルフ番組のMCの他「岩瀬惠子のスマートNEWS」(アール・エフ・ラジオ日本)パーソナリティとして活躍中。ベストスコア83

週刊ゴルフダイジェスト2021年12月21日号より