【ゴルフせんとや生まれけむ】志生野温夫<後編>「いろんなプロに教わったけど、小松原先生が一番分かりやすかった」
ゴルフせんとや生まれけむ
ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、前回に引き続きアナウンサーの志生野温夫氏。
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- ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、アナウンサーの志生野温夫氏。 ボクはね、実は日本で初めてのプロゴルフトーナメントの生中継をしているんですよ。1957(昭32)年に霞ヶ関カンツリー倶楽部で開かれた「カナダカップ」。そう、日本のゴルフブームのきっかけを作ったと言われる……
日本のゴルフの夜明けは、中村寅吉プロがカナダカップで優勝してから、と言われていますが、昭和30年代のテレビのゴルフ中継は、この大会だけ。テレビが本格的にトーナメント中継をするようになったのはジャンボ尾崎がプロデビューし、青木功や中嶋常幸などと競い合ってAON時代と言われるようになった昭和40年代後半に入ってから。
だからボクも、この間は、ゴルフはほとんどやらなかった。改めてゴルフをやるようになったのは、1972(昭和47)年に日本テレビを退社してフリーのアナウンサーになってから。年配のゴルファーは皆さん、ご覧になったと思うけど、テレビ東京系列で日曜日の午後1時から放送した「小松原三夫のゴルフ道場」のMCをするようになってからです。
番組は1975(昭和50)年のスタートで、当時の番組の収録は、前の日にゴルフ場に行ってラウンドをして、現地に泊まって翌日収録するというスケジュール。仕事絡みの小旅行みたいで、すごく楽しかった(笑)。 小松原先生は難しいことを言わない。グリップはフックグリップでOK。バックスウィングのトップはお蕎麦屋の出前持ちの形、アドレスは、「はい、ちょうだい」って両手を前に出してモノをもらうときの形、ってボクらにはすごくわかりやすかった。
その後もいろいろなプロから教わったけど、ひじの使い方とか、ひざの送り方とか、細かいことを注意されるばかりで、素人のボクらはついていけないんですよ。だからボクは、もう小松原先生の教え一辺倒でした。ただ、先生の教えはわかりやすいけれども、言う通りに打てないのがボクらアマチュアの悲しいところでね、なかなか上達しなかった(笑)。
というのも、ボクのゴルフは、ほとんど仕事絡み。仕事だから経費は全部テレビ局持ち。自分のお金を使わないと上達しないっていうけど、あれ本当です。ゴルフの面白さもあまり感じなかった。 ゴルフは面白いなあ、って思うようになったのは50歳を過ぎてから。高校時代の友人が茨城県のフレンドシップCCの理事をやっていて、大分県出身の友人を4人集めて月に1回、コンペをやるようになってからです。このコンペは、昼間はゴルフ、夜はマージャンという2部制でね、昼間のゴルフもチョコレートが懸かっているから真剣そのもの。やっぱりゴルフは自分で金を払ってやらなきゃ上手くならないな、と身をもって感じました(笑)。
といっても、この仲間は、みんなゴルフが下手。目標は全員45・45の90。ハーフ40台が出たり、トータル80台が出ると大威張りしていたくらいでした。そんなこんなで50歳前後の頃は年間50ラウンドくらいコースに通いましたね。生涯のベストスコアは81。この頃、メンバーになった銚子CCで出しました。
今、93歳になりましたが、前述のフレンドシップCCで「レディース&シニア大会」というコンペの司会と講演をやっているので、最低でも月に1回はラウンドしています。このコンペは、男性は60歳以上、女性は何歳でもOK。参加者の半分は女性ですから、よかったら皆さんもぜひご参加ください。お待ちしていますよ。

志生野温夫
昭和7年生まれ。大分県出身。アナウンサー。國學院大卒業後、日本テレビアナウンサーに。47年、アナウンス部副部長を最後にフリーへ転身。「小松原三夫のゴルフ道場」「激突スターボウリング」「全日本女子プロレス中継」などの名物アナとして活躍した
週刊ゴルフダイジェスト2026年8月11日号より


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