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【ゴルフせんとや生まれけむ】河本育之<後編>「オフは4勤1休でラウンドしていました」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、前回に引き続き元プロ野球選手の河本育之氏。

前回のお話はこちら

ゴルフを一番熱心にやっていたのは、千葉ロッテ時代の92年から99年の8年間です。そのころは「もっと上手くなりたい」という気持ちが強かったです。スウィングが固まってきたので、今度は道具選びにも凝りました。飛ぶと噂のドライバーを4本くらい買って打ち比べていた時期もありましたね(笑)。その結果、ボクはタイトリストが一番良かったんですよ。左に行くのがイヤだったので、スライス回転のボールが出るドライバーを探していたらタイトリストでした。

その流れでアイアンもタイトリストになりましたが、ボールだけはキャロウェイを使っていました。キャロウェイのボールはスピンがよくかかるという噂を聞いて試してみたら、打感が軟らかくてスピンがかかるので気に入って、ずっと使っていました。ところがあるとき、誰かがプロV1を持っていて、「1回ちょっと打たせてよ」と打ってみたら、たまたまだと思いますが普段より20ヤードくらい飛んで。「えっ、こんなに違うの?」と驚き、そこからボールもタイトリストになりました。


シャフトはグラファイトデザインが好きで、ずっと使っていたのですが、あるときフジクラが飛ぶと聞いて、フジクラに替えたんですよ。でも、ボクには合わないような気がしてグラファイトデザインに戻しました。スウィングも道具も仕上がっていたときは、プロ野球のシーズンが終わると4勤1休でゴルフです(笑)。

4日行って、1日休んで、4日行って、1日休んで、ときどきワンハーフすることもありました。そうすると4日連続の3日目になると疲れてくるんですよ。プロゴルファーは毎週4日間歩いてプレーしているわけですから、「プロってやっぱりすごいな」と思いました。

ベストスコアが出たのもその時期です。4日連続ラウンドの初日にすごく叩いたので、2日目はとにかくパーを取ろうと思っていたら、前半ハーフがパー8個、ボギー1個の37でした。そして後半にバーディが1個来て、残りは全部パーで、35でホールアウト。トータル72のパープレーでした。そこから先はアンダーパーを目指すゴルフが始まりました。しかしハーフ34が出たことはありましたが、両方ともいいスコアが出ることはほとんどなく、記録更新はできませんでした。

ジャイアンツに行ってからはゴルフの練習を全然しなくなったので、若い頃の貯金でスコアを出すような感じになりました。ジャイアンツの納会コンペで一度、前半ハーフを38で回り、後半ハーフは最終ホールを迎えた時点で2アンダーだったときがありました。最終ホールは距離の短いパー5で、ボクなら2オン1パットのイーグルも狙えます。

「これは大チャンス!」と思ってドライバーをマン振りしたら、ティーショットは無念にも池ポチャ。それでもまだパーのチャンスはあると思ったら、なんと2発目も池ポチャ。そこで緊張の糸が切れ、最終ホールで11を叩き、ハーフ40でした。

今はもう上達意欲がありませんから(笑)、アンダーパーが出ることは一生なさそうです。

河本 育之

かわもと・やすゆき。1967年生まれ、山口県出身。高校卒業後、社会人野球を経て91年ドラフト2位で千葉ロッテに入団。プロ入り1年目から抑え投手として活躍。00年トレードで巨人に移籍。04年トレードで北海道日本ハムに移籍。05年自由契約で東北楽天に移籍。07年現役引退。

週刊ゴルフダイジェスト2024年10月1日号より