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私のゴルフ人生“思い出の1打” #3 佐藤謙太郎、黒沢琢弥、橘家竹蔵編

「思い出の1打」と聞かれると、「ドラコン」や「ニアピン」、もしくは「ホールインワン」を挙げる人は多いことだろう。思い出すたびに悔しさが込み上げてくる痛恨のミスショットも「忘れられない1打」と言える。そこで各界で活躍するさまざまなゴルファー13名に「心に残った忘れられない1打」を聞いてみた!

TEXT/Takeo Yoshikawa

  • 「思い出の1打」と聞かれると、「ドラコン」や「ニアピン」、もしくは「ホールインワン」を挙げる人は多いことだろう。思い出すたびに悔しさが込み上げてくる痛恨のミスショットも「忘れられない1打」と言える。そこで各界で活躍するさまざまなゴルファー13名に「心に残った忘れられない1打」を聞いてみた! TEXT/Takeo Yoshikawa ……
  • 「思い出の1打」と聞かれると、「ドラコン」や「ニアピン」、もしくは「ホールインワン」を挙げる人は多いことだろう。思い出すたびに悔しさが込み上げてくる痛恨のミスショットも「忘れられない1打」と言える。そこで各界で活躍するさまざまなゴルファー13名に「心に残った忘れられない1打」を聞いてみた! TEXT/Takeo Yoshikawa ……
  • 「思い出の1打」と聞かれると、「ドラコン」や「ニアピン」、もしくは「ホールインワン」を挙げる人は多いことだろう。思い出すたびに悔しさが込み上げてくる痛恨のミスショットも「忘れられない1打」と言える。そこで各界で活躍するさまざまなゴルファー13名に「心に残った忘れられない1打」を聞いてみた! TEXT/Takeo Yoshikawa Fi……

File 7 佐藤 謙太郎

さとう・けんたろう。コース設計家。日本ゴルフコース設計者協会理事長。津CC、富士スタジアム、JクラシックGC、上海GC、テンプラーパークCCなど国内27コース、海外13コースを設計。

「風向きのわずかな違いでこれほど
ゴルフが変わるものかと思い知らされた」

「心に残る1打」と言って思い浮かぶのはホールインワンでしょうね。今まで数回達成していますが、自分が改造した横浜CC東コースの6番ホール(167Y・P3)を6番アイアンで、ザ・カントリークラブ・ジャパンの17番ホール(157Y・P3)は7番アイアンで入れました。ほかにも石に当たり跳ね返ってカップインというのもありましたね。

でも改めて「心に残る」を考えると、初めてアメリカのペブルビーチGL(18H・6828Y・P72)に行ったときのことが浮かんできます。


海に突き出したような7番ホール(106Y・P3)はぺブルビーチGLで最も有名なホールです。距離はツアー競技でも109ヤードと短いですが、問題は海からの風にあります。馬の背の3段グリーンは6個のバンカーでガードされ、やや打ち下ろし。風が吹けばツアープロでも5番アイアンを手にしますが、私がプレーした日は無風、サンドウェッジで打ちました。ボールはピン右に落ち、2パットのパーでした。グリーン右側にはアザラシがいて、風がなければとても平和な光景といえます。

ぺブルビーチGLの7番ホールは海に向かって打つことから風の影響を受けやすい。無風ならばSWかPWで届くが、アゲンストの風が吹き付けるとツアープロでも5番アイアンなどを手にする

ペブルビーチに隣接して、アリスター・マッケンジー設計の難コース、サイプレスポイントC(18H・6536Y・P72)があります。15番ホールは143ヤード、次の16番ホールは231ヤードで、いずれも海越えです。ペブルビーチGLの7番ホールを吹き渡ってきた風はサイプレスポイントCの15、16番では、やや左方向からのアゲンストになり、少しでもスライスをすると太平洋の藻屑となってしまいます。

ペブルビーチGLからわずかな距離にありながら、同じパー3でもティーショットがまったく違うという印象を受けました。こんなエピソードも残されています。1959年のビング・クロスビー大会で、プロのハンス・メレルはミスショットをした結果ホールアウトするのに19打要し、ジミー・ディマレは「救済方法はない、ボールをリプレースする場所はホノルルしかない」と言ったほどです。

ホールの距離は異なりますが、同じような場所にあり、同じパー3ホール。一方は海に向かって打ち、一方は海越えで打つ。吹き抜ける風自体には強弱はあるものの、風が吹く方向のわずかな角度の違いで、これほど1打が変わるものか、ゴルフというゲームにおいて風が占める要素には多大なものがあると改めて認識したわけです。「心に残る1打」はペブルビーチGLの7番から、サイプレスポイントCの15、16番に連携していったのです。

サイプレスポイントCの15番、16番、17番は連続して海越えホールになり、そのうち15番は143ヤードだが16番は231ヤードもあり、風がなくてもドライバーでなければ届かない。同じ1打でもその差は歴然としている

File 8 黒沢 琢弥

くろさわ・たくや。レーシングドライバー。ドライビング、コーチングの黒沢道場主宰。

「向い風の打ち下ろし約200ヤードを“タラコ”で会心のイーグル」

ゴルフを始めたのは遅く30歳からで、1995年に日本人最初の“ル・マン24時間レース”に優勝した関谷正徳さんが無類のゴルフ好きなことから誘われました。チームを移ってもゴルフ好きなレーサーが必ずいて上級者揃いでしたね。「日本一速い男」の異名をとる星野一義さん率いるチームインパルでは、毎年11月末になると、川奈ホテルGC(18H・6701Y・P72)でゴルフをするんです。

富士コースの4番ホール(482Y・P5)は海に向かっての打ち下ろし。ティーショットは“今日イチ”という会心の当たりで280ヤード飛び、残りは約200ヤード。「上空は海からのアゲンストの風が吹いています、220ヤード打ってください」。続けて「2オンは無理なので、中途半端な距離を残すのなら刻んだほうがいいですよ」とキャディさん。

5Wにするか、それとも通称“タラコ”と呼ばれていたプロギア「インテスト」にするか迷いましたが、5Wでオーバーさせるとパットは下りのラインになり、かえって難しくなるのでは、と考えタラコを手にしてショット。ボールはアゲンストの風のなかを高弾道で飛び、カップから50センチに着弾して見事2オン。これをねじ込んでイーグル達成。今思えば“タラコ”はいいクラブでした

川奈ホテルGC富士コースの4番は2打目からは下り、グリーン手前から上りで、左手前と右に深いバンカーがあり狭く、2オンには飛距離と正確性が求められる

File 9 橘家 竹蔵

たちばなや・たけぞう。本名/纐纈勅男。落語家。65年7代目橘家円蔵に入門、81年真打。出囃子は「お江戸日本橋」

「秘密にしたかったホールインワン
パーティの席でバレちゃった」

実はね、あたしは1974年フジテレビの「ゴルフハイテクニック」って番組に生徒の役で出演していたんです。先生は小松原三夫プロ。ゴルフを始めた頃から半年間続いて、「真打になるか、シングルになるか」というほど上達し、そのうえ、お金も貰えたんですからこんな幸せなことはありませんよ。で、今日のお題は「心に残ったあの1打」でしたっけ。

今から18年前の5月16日、飯能GC(18H・6910Y・P72)で行われたコンペに出たの。同伴者は輸入車会社の殿村さん、銀行支店長の平岡さん、保険会社部長の大槻さん。16番(140Y・P3)で、殿村さんはピン左へワンピン、大槻さんはピン右へワンピンに乗せ、平岡さんはバンカーに。「皆さん遠慮しちゃって、これじゃ真っすぐ打つしかないね」と7番アイアンでショットしたら落下地点が分からず、カップを覗いていた殿村さんが「自分で取りなよ」と。つまりホールインワンだったんです。

秘密にするつもりでしたが、パーティの席上で「今、司会をしている竹蔵さんがホールインワンしました」って喋られちゃったの。その頃、志村坂上でスナック“シャレ”を営んでいたんで、東京會館から料理を取り寄せ、会費1万円でパーティをしたんです。でもね、ホールインワン保険には入ってなかったんですよ。

テレビの番組でパームスプリングスのラ・キンタリゾートでローラー・ボーとプレーしたときのサインと記念写真

ホールインワン記念に制作したテレカとホールインワンをしたときのマックスフライのボール

  • 「思い出の1打」と聞かれると、「ドラコン」や「ニアピン」、もしくは「ホールインワン」を挙げる人は多いことだろう。思い出すたびに悔しさが込み上げてくる痛恨のミスショットも「忘れられない1打」と言える。そこで各界で活躍するさまざまなゴルファー13名に「心に残った忘れられない1打」を聞いてみた! TEXT/Takeo Yoshikawa ……

週刊ゴルフダイジェスト2024年5月21日号より