【ゴルフせんとや生まれけむ】山本和行<後編>「アメリカでシニアプロを目指しテストに挑戦! 結果は…」
ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、前回に引き続き、元プロ野球選手の山本和行氏。
入団1年目からゴルフにどハマりした一方で、野球のほうではなかなか活躍できませんでした。26歳くらいまで先発投手として2ケタ勝つことができず、給料も上がらなかったので「女房、子どももいるし、今年ダメだったら野球をやめてプロゴルファーで生計を立てよう」と考えた時期がありました。コーチをつけて真剣にやればプロゴルファーになれると思っていたんです。
ところがその年(1976年)に救援部門でオールスターに出ることができました。本当はゴルフをやりたいんだけどプロ野球で芽が出始めたので「しょうがない。野球をやるか」とプロゴルファーの道は諦めました(笑)。
40歳で現役を引退した後は、アマチュアとしてゴルフを頑張っていました。すると50歳手前くらいのときにアメリカでゴルフをしていたら、現地の知り合いのプロから「歳はいくつだ?」と聞かれ、「もうすぐ50歳だ」と答えたら、「プロになれ。おまえだったら大丈夫だ」と言われたんです。
「そうか」と思い、50歳になったときアメリカのシニアプロの道に挑戦してみることにしました。でも、向こうの芝は難しいですし、そのころの僕はフェアウェイキープ率が悪かったので、4日間競技で1日1ストロークずつ足りずに落ちたのが3年続きました。
そこでアメリカを諦めて、日本のシニアプロになろうと思いました。ただ、日本にはいろんな条件がありまして、最初はテストに通って講習を受けたらシニアプロになれるという話だったのに、途中から「講習を先に受けなきゃダメ」ということになり、アホらしくなってやめてしまいました。
自分と同じように他の仕事をしながらテストを受けていた仲間がいまして、別の団体があることを調べてくれました。今でもありますけど、JIPGA(日本インストラクタープロゴルフ協会)という団体があるんですよ。そこのテストに通りまして、インストラクターになりました。
そのころ女子プロゴルファーの大迫たつ子さんと知り合う機会がありました。そして彼女のお弟子さんたちと一緒に練習場に行くようになりました。その中の一人の水長良子というプロが試合に出ているのを見に行ったとき、学生バイトのキャディが熱中症で倒れてしまったんです。「じゃあ、オレが担いでやるわ」と初めてキャディをしました。するとキャディが面白くなり、いろんなプロのキャディをしました。「こうしたらどう?」とアドバイスしながら回る今のプロコーチのハシリのようなことをしていました。最近の女子プロを見ていると、アプローチとパターが上手じゃない選手が多いので、そこだけでいいから教えてあげたいという気持ちがすごくあります。
それと僕がゴルフでやりたいことがもう一つあります。実はエージシュートがまだないんですよ。ホールインワンはすでに5回、アルバトロスも1回やりました。ベストスコアは66を2回出しましたが、エージシュートがないので、フルバックで回ってエージシュートを達成するのが今の目標です。
山本和行
やまもと・かずゆき。1949年広島県生まれ。71年ドラフト1位で阪神に入団。75年から主にリリーフで起用されるようになり、82年と84年に最優秀救援投手のタイトルを獲得。88年現役引退。プロ通算700登板で116勝106敗130セーブ
週刊ゴルフダイジェスト2023年5月2日号より