【企業ゴルフ選士】日立システムズ・仲村徹也さん「結果が目に見えるから努力が苦になりません」

戦うだけのゴルファーではなく、会社に認められ、選ばれたゴルファーである“企業ゴルフ選士”をクローズアップ。今回は、日立システムズの仲村徹也さん。
ORGANIZER/Hironori Kogure PHOTO/Tsukasa Kobayashi THANKS/北谷津ゴルフガーデン

日立システムズ
関東甲信越支社
第一営業本部
産業拡販推進センタ
部長代理
仲村徹也さん
32歳でゴルフを始め、現在のHCは6.4。子どもの頃からやってきた野球は現在も続けているというが、「今では完全にゴルフが中心です」ときっぱり。今年初めて関東アマの予選に挑戦する

日立システムズ
さまざまな業種の課題解決で培ってきた業務知識やノウハウを持つ人財が“One Hitachi”でLumada事業を中心に展開することによりデジタル変革を徹底的にサポート。環境・社会・企業統治を考慮した経営を推進することで、真に豊かな社会の実現に貢献する
元ゴルフ嫌いの
ゴルフ部主将
日立システムズで民間企業向けのDXソリューション営業に従事する仲村徹也さんは、同社ゴルフ部の主将としてメンバーを引っ張る存在。
小中高は野球部。子どもの頃はバリバリの野球少年で、大学では地元沖縄の軟式野球チームに所属していた。ゴルフ好きの父からの度重なる誘いに折れ、たまに練習場へ行ったことはあっても「面白さを感じなかった」と仲村さん。同社入社後に入ったのも野球部で、ゴルフが入る余地は全くなかった。
「かねてから当時の上司から『ゴルフやろうよ』と誘われてはいたのですが……32歳の頃、クラブのフルセットをいただいたんです。もうやるしかない状況に追い込まれて、仕方なく何度か練習場へ行って。当たらしスライスしか出ないし、やっぱりつまらなかったですね(笑)」
父親に上司、ゴルフ好きが寄ってたかって勧めても振り向くことはなかった……と思いきや、初めてのラウンドがきっかけで生涯野球少年はゴルフへ傾倒することになる。
褒めて伸ばされ
「面白くなった!」
数回の練習を経て行った初めてのゴルフ場は大宮国際CC。野球の経験が奏功したか、はたまたセンスがあったのか、スコアは108だった。
「その上司が褒めて乗せてくれるんです。それを繰り返すうち、楽しくなってきちゃって」まさに理想の上司。褒めて伸ばすマネジメントは見事にハマった。
「その頃から積極的に社内外のコンペに行くようになったのですが、上位に入ったり、たまに間違えて優勝したりするうちに楽しくなってきて、月2〜3回ほど練習場へ行くようになったんです」
その後順調に100を切り、40代を迎えた頃には80台が視野に。そんな折、周囲の状況が変わってきた。
「自分を含め、周りも仕事が忙しいうえ育児真っ盛りの時期に入り、野球をしたくても人が集まらなくなってきたんです。同時にこの頃、ゴルフを始める仲間も増えてきました」
43歳で「野球とゴルフが入れ替わった」仲村さんは毎週末の練習場通いに加え、早朝ラウンドも行くように。上達が加速するにつれ、ゴルフの楽しさに目覚めていった。
初めてのゴルフ部は
ドン引きからスタート
「ゴルフ部に入ったのは2019年ですが、入った瞬間『ヤバい』と思いました」
あくまでもエンジョイ派。ハンディ戦に慣れ親しみ、OKも日常だった仲村さんの目に映ったのは、これまでにないストイックな姿勢。お昼にビールを飲むこともなく黙々とプレーするメンバーたちに一瞬“ドン引き”するも、野球少年のDNAが反応。久しぶりに火がついた。
「熱い方ばかりで、いろいろと教え合いながらやっているのを見て、私も考えが変わりました。監督を務めていた河内喜文さんがTPIのインストラクター資格を持っていて、それに基づいたウォーミングアップをすると面白いほど体が動くんです。ちょうど年齢的に体が硬くなって筋力も落ちてきたこともあり、当初はきつかったですが、変化が目に見えることから、やりがいはありました」
1年ほどでドライバーの飛距離が30ヤード近く伸びたという仲村さんは現在、ハンディ5下を目指し奮闘中。そのモチベーションの源は「団体戦に貢献すること」の一点に尽きる。
「ゴルフを通じ、年代や性別問わず仲間ができました。そんな仲間たちと切磋琢磨して日経カップの決勝へ進みたいです。今年初めて関東アマの予選にエントリーしたのですが、これも団体戦に貢献するための“修行”です」
寡黙ながら静かな闘争心が見え隠れする。褒めて育てた上司も、ここまで育つとは思わなかった?
仲村徹也さんの14本セッティング


週刊ゴルフダイジェスト2025年3月11日号より