私のゴルフ人生“思い出の1打” #4 北村晴男、小林研一郎、青木直子、鳴戸勝紀編
「思い出の1打」と聞かれると、「ドラコン」や「ニアピン」、もしくは「ホールインワン」を挙げる人は多いことだろう。思い出すたびに悔しさが込み上げてくる痛恨のミスショットも「忘れられない1打」と言える。そこで各界で活躍するさまざまなゴルファー13名に「心に残った忘れられない1打」を聞いてみた!
TEXT/Takeo Yoshikawa
- 「思い出の1打」と聞かれると、「ドラコン」や「ニアピン」、もしくは「ホールインワン」を挙げる人は多いことだろう。思い出すたびに悔しさが込み上げてくる痛恨のミスショットも「忘れられない1打」と言える。そこで各界で活躍するさまざまなゴルファー13名に「心に残った忘れられない1打」を聞いてみた! TEXT/Takeo Yoshikawa ……
- 「思い出の1打」と聞かれると、「ドラコン」や「ニアピン」、もしくは「ホールインワン」を挙げる人は多いことだろう。思い出すたびに悔しさが込み上げてくる痛恨のミスショットも「忘れられない1打」と言える。そこで各界で活躍するさまざまなゴルファー13名に「心に残った忘れられない1打」を聞いてみた! TEXT/Takeo Yoshikawa ……
- 「思い出の1打」と聞かれると、「ドラコン」や「ニアピン」、もしくは「ホールインワン」を挙げる人は多いことだろう。思い出すたびに悔しさが込み上げてくる痛恨のミスショットも「忘れられない1打」と言える。そこで各界で活躍するさまざまなゴルファー13名に「心に残った忘れられない1打」を聞いてみた! TEXT/Takeo Yoshikawa Fi……
File 10 北村 晴男
きたむら・はるお。弁護士、弁護士法人。北村・加藤・佐野法律事務所。民事事件を中心に幅広い案件を手掛けている。2000年から2021年まで「行列の出来る法律相談所」出演、21年YouTube「北村晴男ちゃんねる」をスタート
「60代でエージシュートを達成し
『忘れられない1ラウンド』にしたいです」
「心に残っている」と言えばホールインワンですね。1995年、レイクウッドGC東コース(18H・6524Y・P72)で、池越えの13番(132Y・P3)を8番で打つとワンバウンドでボールはカップに吸い込まれ、初めてのホールインワン。
10年以上前の大晦日に、沖縄のかねひで喜瀬CC(18H・7193Y・P72)で宮里聖志プロとその友人と3人でプレーしました。オーシャン8番ホール(201Y・P3)は、かなり打ち下ろしのパー3です。この日は打ったボールが大きく流されてしまうほど風が強く、低い弾道をイメージして4番アイアンで打つと、手前ギリギリにオンしてそのまま20ヤードほどグリーンを転がり、カップイン。2回目のホールインワンです。
また09年、北九州オープンに出場したときのこと。開催コースは、門司GCで宮里優作プロが同組でした。9番(400Y・P4)は左ドッグレッグ。ティーショットが左のバンカーに入り、木の枝が張り出していてピンを狙うにはかなり難しい状況。フェースをややかぶせ、右から回すイメージを描いて6番アイアンで打つと、ボールはイメージ通りのフックボールでカップの上2メートルにナイスオン。バーディパットを入れて次の10番ホールではオナーとなり、ギャラリーから「このアマチュアがオナーなの」という視線を受け恥ずかしいやら、誇らしいやら……。
門司GCの9番ホール。左のバンカーからピンを狙いバーディにした
File 11 小林 研一郎
こばやし・けんいちろう。作曲家、指揮者。東京芸術大学名誉教授、東京音楽大学名誉教授、リスト音楽院名誉教授
「その日、神がかりなプレーでベストスコアを記録しました」
アムステルダム・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者をしていたときに、知り合いにゴルフに誘われたことから始めました。野球の経験があり、陸上競技では県大会の記録保持者でしたので「止まっている球なんて」と思っていましたが、最初は当たらなかったですね。それで、早朝、昼、夕方、夜まで1日800球ほど打ち込みました。
オランダ最古のケネマーG&CC(1910年開場)がアムステルダムにあり、そのコースでプレーを始めました。リンクスでラフは深く、ボールを打ち込むと見つけるのは困難。そんなコースでゴルフを始めて2年半頃のことでした。1番ホール(387M・P4)の5打目は残り距離70メートルで、ショットをしたらカップイン。2番ホール(126M・P3)ではグリーンに乗ったボールが転がり戻ってホールインワン。最終ホールでは3メートルが入り、スコアは「78」でした。いつもは100を切れないゴルフでしたが、この日のゴルフは生涯忘れられない神がかり的なプレーになり、スコアカードを見た友人たちに「嘘だろう!」と言われてしまいました。
僕にとってこのラウンドは「心に残る1打」ではなく「心に残る1ラウンド」なのです。
神がかり的なプレーとなったケネマーG&CCはオランダ最古のコース
File 12 青木 直子
あおき・なおこ。株式会社ブレーン代表取締役
「荒ぶるリンクスで奇跡的なショットを放ちパーにした喜び」
ゴルフを始めたきっかけは、杉原輝雄プロのゴルフ番組を手掛けていたときに、杉原プロから「ゴルフをしなさい」と言われたからです。そのうち、トーナメントの運営にも興味を持ち、公営競技の兵庫県オープン、JGTOチャレンジトーナメント、PGAシニアなどの試合運営も手掛けました。
テニスをするためにペブルビーチを訪れたことがありましたが、ゴルフのために行くことになり、その後、ニュージーランド、オーストラリアなどにも遠征し、4~5年前には初めてスコットランドで8~9コースをプレー。すっかりゴルフにハマりました。
心に残ったショットといえば、アイルランドのオールドヘッドGL(18H・7150Y・P72)の3番ホール(レディスティー134Y・P3)ですね。大西洋に3.2キロも突き出した岬の先端部に造られていて、90メートル下には大西洋の波が打ち寄せています。
オールドヘッドGLは大西洋に突き出した岬に造られ、絶えず強い風が吹き、ゴルファーは風と対峙しながらスリリングなプレーをすることになる。スロープレートは142でかなりの難コースでもある
細長い縦長のグリーンで、ホールの右は崖、左は海でやや打ち上げでした。同伴者のひとりは右の崖に直撃、別の人は左方向に打ってしまいボールは海の藻屑に。私は7番アイアンを選びショットしたところ見事グリーンに乗せることができました。今までこの距離を7番で打ったことはなく、自分的には奇跡と言えるショットで、ボールはピンから2メートル。パーが取れました。
スコットランドやアイルランドの名コースを巡るゴルフ旅を楽しむ青木さん
File13 鳴戸 勝紀
なると・かつのり。本名/安藤カロヤン。ブルガリア出身、元大関琴欧州、2017年佐渡ヶ嶽部屋から分家独立。優勝1回、殊勲賞2回、敢闘賞3回
「心に残る良き1打はパー4をワンオン、悪しき1打はOBになるショット」
場所が終わると1週間休みになり、ゴルフコンペが行われます。大阪なら茨木CC、九州なら芥屋GCなど、その地の名門コースでのプレーになります。初めてのゴルフは練習無しで参加したコンペでした。名古屋場所の後で、とにかく暑かったのを覚えています。いくら振ってもボールに当たらなかったですね。
キャディさんは「このホールにOBはないです」と言われましたが、打った途端に大声で「フォア〜」。確かに、このホールにOBは無かったのですが、大きく曲がりすぎて隣のホールを越えてしまいOBになったのです。当たれば300ヤードは飛びますし、10回のうち2回はグリーンに乗ることがあります。でもドライバーは苦手で、ティーショットをアイアンで打つほうが好きなのはOBになる確率が少ないからです。
「悪い思い出としての1打」は、どこかに飛んでしまいOBになること。「いい思い出の1打」はグリーンにワンオンしたときですね。マスターズが行われるコースは、いつか行ってみたいです。
部屋に掲げられていた親方直筆で「思いやり、目配り、気配り、人の気持ちを考えて行動する」
ハワイのワイアラエCCの7番ホール(439Y・P4)にて
週刊ゴルフダイジェスト2024年5月21日号より