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【“禅”に学ぶ】<前編>「平常心」は直接つかみにいくものではない。条件を整えて“やってくるのを待つ”

複雑化している現代社会。禅の教えから学ぶことは多い。これはゴルフにも通じる。メンタルトレーナーの赤野公昭氏が、師匠でもある禅僧の藤田一照氏を訪ねた。メインテーマは「平常心」。ゴルフ上達だけではなく生き方のヒントも隠れていた!

PHOTO/Tadashi Anezaki、Getty Images

ゴルフ メンタル トレーニング
藤田一照(左)……ふじた・いっしょう。1954年愛媛県生まれ。東京大学教育学部を経て同大学院で発達心理学を専攻。坐禅に出合い深く傾倒し28歳で博士課程を中退し禅道場へ。29歳で僧侶に。33歳で渡米し17年半にわたり坐禅を指導する。現在も神奈川県葉山を拠点に広く(オンライン含む)坐禅の参究・指導にあたる
赤野公昭(右)……あかの・きみあき。1972年岡山県生まれ。世界のアスリートを育てたアメリカのトップメンタルトレーナー、ジョセフ・ペアレント博士に師事。日本古来の「禅」と欧米の最新理論を融合させた独自のメソッドでプロゴルファーやプロ野球選手などを指導する。現在も藤田氏のもとで禅の修行にも励んでいる

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禅で言う
「平常心」とは

赤野 平常心を仏教では「びょうじょうしん」と読むんですよね。

藤田 「へいじょうしん」でも、読み方はどちらでもいいのですが、本来の意味は皆さんが思っているのとは少し違います。仏教や禅の言葉は日常語になって日本語のなかに入っていますけど、元の意味とは全然違う場合がある。皆さんが「平常心が大事」と言うときはだいたい、何が起きても動じないという感じで理解されてますよね。

赤野 はい。ゴルフでは「常に平常心で」とか「上手くいっても喜ばず、ミスしても悲しまず淡々と」という意味で使ったりします。「無心」でいたほうがいいという言葉もよく使います。

藤田 平常心にしても無心にしても、多くの人は特別な心の在り方だと思っている。特別ということは非日常的ということ。普段の私は違うけれど、ゴルフやプレゼンなどのパフォーマンスをするときに平常心や無心でできたらいいなあ、という使い方をしますよね。

赤野 そういう文脈です。そのために坐禅などが有効だとされます。

藤田 今は実現されていないことを将来の目標や目的にして、そこにどうしたら無駄なく素早く効率的に到達できるか。これが私たちの普通の思考法です。

赤野 心が落ち着いていないから、落ち着いた状態にしたい、平常心になりたい。そのためにはどうしたらいいかという求め方なんです。

藤田 多くの場合は、どうしたら「不・平常心」から「平常心」になれるんだろう、ならなければいけない、なったほうがいい、という“傾き”のなかで語られる。でも、そういう枠組み自体を超えたところにあるのが平常心なんです。今ないものを手に入れようとするから心も体も緊張して、アドレナリンが出て闘争状態になる。それだと落ち着いている状態とは逆の方向にいくんです。ですから落ち着きや平常心というのは、そういうアプローチでは手に入らないものだということをまずは理解しないといけません。

赤野 私たちコーチもそこはよく理解しておかないといけませんね。改めて、禅で言う「平常心」とは何でしょうか。

藤田 中国語の「心」という言葉は、「無心」も「平常心」もそうですけど、禅では独特の使われ方をしている。私たちが普段考える「心」は心理学で扱っているような心です。

赤野 マインドやハートととらえがちです。

藤田 はい。個人に所属する心、心理状態ととらえますよね。だから平常心は、私の心の状態が平静なことだというふうに思われるんですけど、禅の文脈で「心(しん)」は、この大宇宙の活動のことを言います。大自然の働きと言ってもいい。その働きで私たちは生かされているのです。自分で生きていると思っているけど、実は生かされていて、自分でやっていることなんかわずかしかない。

赤野 本来はそうなんですね。

コントロールできると思うのがそもそも間違い

藤田 そういう意味の「心」では何が起きても平常、つまり当たり前で、なんともないことです。東日本大震災のときにあれだけ街を破壊した津波がありましたが、翌日海は凪いでケロッとしている。どちらも同じ海の平常の働きです。喜怒哀楽も私たちにとっては、海の波のようなもので、エネルギーが高まるけど、高まったままでは絶対に終わらずにまた当たり前に戻っていきます。上がっても下がってもそれは平常なことなんです。

赤野 上がったら必ず下がるような、自然の働きということですね。

藤田 人間の狭い了見で見ると、災害や災難、また喜怒哀楽という感情の波は人によってはそれで自分の命を断ったり、人の命を奪ったりというドラマにすらなることがありますが、「心」から見ればそれは当たり前に起きている平常なこと。
 青空が一転にわかにかき曇り、雷が鳴って雹が降っても、またすぐにカラッと晴れる。そういう在り方が平常心なんです。個人の心理状態云々の話ではなくて、それくらいスケールの大きなところから自分を見るという、別の視点を持つことを教えている。
 世間では個人のしのぎの削り合い、プロゴルファーだったら賞金獲得の勝負をしていますけど、それだけだと視野が狭い。勝負の世界に生きる人であればあるほど、その勝負を離れて、そんなことが問題にもならないようなおおらかな視線も持っておく必要がある。
 別に勝負を軽んじろという話ではなくて、無勝負の世界に足を置いて、勝負の世界で手を使うという感じでしょうか。それが、結果的にゴルファーが必要と感じている落ち着きの土台になると思うんです。落ち着きや無心の状態を直接つかみにいくのではなく、条件を整えてそれがやってくるのを待つ。

赤野 コントロールできると思うのがそもそも間違いですね。

藤田 自分がコントロールしなければ、というのがもう平常心を失っていること。落ち着こうと思うと余計焦りになってしまうということは皆さんよくご存じでしょう。

赤野 緊張状態が起きて、気持ちと闘争してしまうということが最たるものです。起こってくる気持ちと闘わない在り方と言ってもいいかもしれないですよね。

藤田 焦りなら焦りをそっと置いておける心のスペース、許容量を持つことですね。

英語も交えて説明する藤田氏。長年のアメリカ経験が土台にある。「日本語だと曖昧なことも、英語ならクリアに説明できる場合も多い。日本語のなかに時々英語をはめ込むのが面白い。英語と日本語の両方で光を当てると、3次元の立体像をよりイメージしやすいんです」

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週刊ゴルフダイジェスト2024年3月12日号より