Myゴルフダイジェスト

  • ホーム
  • プロ・トーナメント
  • 【プロキャディという働き方】#3 アマ優勝でプロ転向の蟬川泰果。キャディは一足早く“プロ”入りしていた

【プロキャディという働き方】#3 アマ優勝でプロ転向の蟬川泰果。キャディは一足早く“プロ”入りしていた

今年、アマチュアながら日本オープンを制して、プロ転向を果たした蟬川泰果。アマ1勝目のパナソニックオープンでバッグを担いだ、当時、東北福祉大3年だった中村凛さんは、一歩早くプロキャディの道へ進んでいた。

PHOTO/ Hiroyuki Okazawa、Tadashi Anezaki、Shinji Osawa、Hiroaki Arihara

中村凛さん(20・写真右) 山形県出身でプロゴルファーを目指して東北福祉大に入学したが、周りのレベルの高さからすぐにプロはあきらめ、その頃から将来はプロキャディになることを目標にして、プロのトーナメントで先輩のバッグを担ぎ、経験を積んできた

先輩たちの活躍が励みに

パナソニックオープンのとき、「将来はプロキャディになりたい」と語っていた中村さん。本来は大学を卒業してからプロキャディの道に進むことを考えていた。しかし試合後に転機が訪れた。

「試合後、蟬川さんに『来年1年間バッグを担いでくれないか』と言ってもらえて。最初はすごく悩みましたが、優勝できる選手を担ぐチャンスなんて、待っていてもなかなか来ない。それならばと、試合から2週間後の10月6日に退学届を提出して、プロキャディになる道を選びました。昔からテレビで中継を見ていて、ロープの内側で選手と一緒に頑張っているキャディさんが、カッコいいなと思っていたんです。大学にはプロのトーナメントに出場する選手が多くいたので、キャディを志願して経験を積みました」(中村)

大学をやめることに不安はなかったのだろうか?

「進藤大典さんや早藤将太さんのように、東北福祉大のOBがプロキャディとして活躍されていて励みになっていたし、OBのプロゴルファーの方などにも在学中から人脈を作ってきたので、『なんとかなるかな』って(笑)。これが自分の道だと思っているので、不安よりもワクワク感しかなかったです」

現在は実家がある山形で準備を進め、近く蟬川が拠点とする兵庫に引っ越す予定。来季、ルーキー2人が新たな旋風を起こすか!?

松山英樹&早藤将太と同じ東北福祉大の
先輩・後輩コンビ

コンビを組んだパナソニックオープンを制覇。試合に勝ったことで蟬川から誘いを受け、夢だったプロキャディの道へ進むことを決心した

日本でプロキャディが誕生したのは90年代後半

ジャンボ尾崎と通算32勝を挙げた佐野木計至氏

ジャンボ尾崎と優勝を重ねた佐野木氏のように、選手の「専属」という形でキャディをする人はいたが、日本人で初めて「プロキャディ」になったのは96年の今井哲男氏だと言われている。選手とべったりではなく、試合会場を後にしたら解散という、現在のプロキャディの形をとったのも今井氏が初めて。その後、徐々に人数が増えていき、今では職業として認知されている。プロキャディには試験も資格もとくに必要ないが、選手から求められる能力も年々高くなっていき、今ではコースマネジメントの面ではキャディに頼る選手がほとんど。選手の負担を減らしながら、共に試合で戦っている

19年に有志が集まりプロキャディ協会が発足
試合では選手にとっては必要不可欠な存在にもかかわらず、一般的にはその仕事内容をあまり知られていない。そのため、その存在と仕事を広く知ってもらおうと19年にプロキャディ協会が立ち上がった。選手へのペアリングのほか、キャディ講習会、一般のコンペへのプロキャディの派遣、イベントの開催などを行っている

週刊ゴルフダイジェスト2022年11月29日号より

こちらもチェック!