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【不撓不屈・岩田寛】<前編>野球とスケボーにあけくれた少年時代。ゴルフに目覚めた意外なきっかけと、最も影響を受けた3人

「自分は叩き上げですから」と言うように岩田寛のゴルフ人生は、まさに苦労の連続。14歳でゴルフを始め、名門の東北福祉大に進むも、レギュラーになることはほとんどなかった。プロ入り後は徐々に頭角を現し、シード常連となったものの、10年間勝てなかった。その後アメリカにも挑戦したが、打ちひしがれて帰国。ただし、この男がすごいのは、そこであきらめずに、またその地での成功を夢見て、努力を続けていることだ。口数こそ少ないが、その内に秘めている闘志は並々ならぬものがある。そんな岩田寛というゴルファーの内側に迫る。

TEXT/Daisei Sugawara PHOTO/Hiroaki Arihara THANKS/仙台CC名取C

いわた・ひろし。1981年1月31日生まれの41歳。中学までは野球少年、中学ではスケボーにもはまっていた。中学3年時にゴルフを始め、父・光男さんから指導を受ける。04年にプロ転向、06年に初シード獲得。初優勝は14年のフジサンケイクラシック。16年にはPGAツアーを経験、17年から再び日本に戻り、21年の中日クラウンズで3勝目を挙げた

思わず口をついて出た言葉が
「ゴルフ」だった

岩田寛の実家は、父の光男さんが仙台市内でゴルフ練習場を経営。光男さんは、寛のゴルフの「師匠」でもある。しかし、高校に入学する以前の寛は、ゴルフにまったく興味がなかったという。

「小学校でやっていた野球部の監督が、『スウィングが崩れるからゴルフはやるな』と。一回、遊びでドライバーを打って、次の日、野球の練習に行ったら監督にすぐバレた。それから中学3年で野球を引退するまで、ゴルフはやってないですね」(岩田)

当時、野球と並行して熱中していたのがスケートボード。次は「スケボー熱」が野球を上回り始め、「高校では野球をしない」と、光男さんに宣言。光男さんから、「まさか、スケボーやりたいからじゃないだろうな? 野球やめて何をやるんだ?」と問いただされ、とっさに答えたのが「ゴルフ」だったという。

「高校では友達もできてゴルフが楽しくなりましたけど、それまでは『おじさんのスポーツ』という認識でした。地元が仙台なので、東北福祉大に行くというのは自然な流れで。在学中も『プロ』という発想はなかったんですが、卒業後の進路を悩む間もなく、父に『ゴルフ場に入れ』(研修生になれ)と言われて、その通りにしました(仙台CC青葉C。現・同CC名取C)。今思えば、あのときゴルフ場に入ってよかったです。そうじゃなきゃ、朝起きれなかったですから」(岩田)

プロデビューは04年の「JCB仙台」、そこから14年の初優勝までは時間がかかった。16年は米ツアーでプレー。41歳になった現在、日本で戦いながら、米ツアー復帰を虎視眈々と狙っている。

岩田寛HISTORY

父、江連、松山
岩田に影響を与えた3人

アマチュア時代、父の光男さんは、試合成績については何も言わないが、試合中にふてくされた態度をとったりすると、厳しく叱ったという。プロ入り後も、光男さんのアドバイスを受けていたが、光男さんはたびたび、「誰か別の人に習え」と言っていた。

「自分が言うことを聞かないからでしょうね。それで、たまたま星野(英正)さんのつながりで、江連(忠)さんと会うことになって、その後、スウィングを見てもらうようになりました」(岩田)

星野は岩田の3年先輩で、岩田の実家の練習場を拠点とし、光男さんにも一時指導を受けていたという縁。江連との出会いにより、ゴルフへの興味は一層増し、歴史も含めて、より深くゴルフを知るきっかけになった。12年の2月、タイでの全英オープン予選に臨んだ岩田。そこにアマチュアとして参加していた松山英樹がいた。

「練習ラウンドで一緒に回って、正直、焦りましたね。ヘッドの入りがすごくて、衝撃を受けました。このままじゃダメだと思った」と、岩田は振り返る。ここから、岩田のゴルフは次なる高みに上っていく。

【影響を受けた人1】
父・光男さん

父の光男さんが試合観戦に来ると、思春期特有の反発心からか、プレーが雑になりスコアを乱すことが多かったという。光男さんはそれを察し、ある年の「東北アマ」を最後に息子の観戦に訪れなくなった。それは今も続いているが、試合のスコアはネットで随時チェックしているという

影響を受けた人2
コーチ・江連忠

大学の先輩である、星野英正が仲立ちする形で江連忠の元を訪れ、約3年にわたって師事。大胆なスウィング改造を行ったが、当時はその理論を自分の中で消化しきれず、たもとを分かつ形に。ただ、受けた影響は大きかった

【影響を受けた人3】
後輩・松山英樹

まだアマチュアだった松山英樹と、全英オープン予選の際に練習ラウンドをともにし、そのスウィングに衝撃を受けた。そのときの、「自分もこのままではダメだ」と思った気持ちが、岩田の進化の原動力となっている

>>“語らない”岩田寛が本誌だけに明かした
スウィングの最重要ポイントとは?

週刊ゴルフダイジェスト8月2日号より