【名手の名言】中嶋常幸「スランプはすべて技術力でカバーできる」
レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は青木功、尾崎将司と並んでAONのひとりとしてゴルフシーンをリードした中嶋常幸の言葉を2つご紹介!
スランプはすべて技術力でカバーできる
中嶋常幸
この言葉は、以前テレビ番組で石川遼から「スランプ」について聞かれた際に中嶋常幸が答えたもの。
勢いだけで成績を残していく時期を過ぎると、必ず停滞が訪れる。
中嶋も23歳のとき、この停滞に陥った。そんななか、野球で“打撃の神様”と呼ばれた川上哲治氏に会う機会があったという。
「スランプに陥ると気分転換したらいいとかいわれるけど、そんな甘いものではない。練習をやってやってやり抜き、技術を高めていけば、これだけやったのだからと自信もでき、吹っ切れてメンタル面にも好影響を及ぼす。つまり、心・技・体で技を追っていけば心も体もついてくるということを言いたかったのでしょう」。そう話したのは、川上氏の子息でノンフィクション作家の川上貴光氏。
ゴルフと野球、種目は違えど心構えには通ずるものがある。中嶋はこの言葉を胸に、その後4度の賞金王に輝き、海外4大メジャーでもすべてトップ10に入る活躍を見せている。
あのときは、腕が焦げて焦げて
胸にぽっかりと穴が空いて
自分がやっていることが
自分だと分からないんですよ
中嶋常幸
09年のマスターズは、アルゼンチンのアンヘル・カブレラが3人でのプレーオフを制して、07年の全米オープンに続き2度目のメジャーを手にした。
表題の言葉は、中嶋がそのマスターズをテレビ解説し、優勝争いで鎬を削るプレーヤーたちの心理を語ったものだ。
1978年にマスターズに初出場した中嶋は、オーガスタ13番で今でもワースト記録に残る大叩きをして予選落ちした。そのリベンジを果たしたのが8年後。86年のマスターズでは、8位タイとなり、ジャンボ尾崎と並ぶ日本選手最高位(当時)の成績を残した。そのときの闘いの模様を吐露したのものだが、シチュエーションを聞けば理解できようというもの。
そのとき中嶋と一緒に回ったのが、それまでに2度マスターズを制し「新帝王」と呼ばれていたトム・ワトソン。前の組がマスターズを5度制している「帝王」ジャック・ニクラス(86年は6度目の優勝を飾った)、後ろの組にはマスターズ2勝を誇る「剛腕」セベ・バレステロス。その時代の世界トップ3が中嶋を取り囲んでいたのだ。
そしてパトロンの大半がこの3組につき、地の底から轟くような歓声をあげるのだった。
この雰囲気の中、ガラスのような速いグリーンに“腕が焦げた”という、まさに経験した者にしか分からない心身の在りようが、この言葉に凝縮されている。
いよいよ始まる2022年のマスターズ。中嶋の名解説とともに今年も堪能したい。
■ 中嶋常幸(1954~)
なかじま・つねゆき。群馬県生まれ。10歳でゴルフを始め、父の熾烈極まる英才教育のもと才能を開花。18歳で全日本パブリック、日本アマを制覇。21歳の時にプロ転向。2年後の77年にはメジャーの日本プロを獲り、80年代に入ると日本シリーズ、日本プロマッチ、日本オープンを次々に制覇、日本版グランドスラムを達成した。86年のマスターズでは、日本人初のアンダーパーで8位タイ。同年の全英オープンでは、最終日最終組でラウンド。88年全米プロでは日本人ベストの3位に入るなど大活躍。ジャンボ尾崎、青木功とAON時代を確立し、80~90年代のゴルフシーンをリードした。ツアー通算48勝。
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