フィナウは「シェフになりたかった」。プロゴルファーたちが描いた子供の頃の“夢”
ザンダー・シャウフェレが小学校時代のアルバムをSNSで公開し、ちょっとした話題になった。世界で活躍するトッププロたちが、幼少時代に思い描いた将来の夢とは?
シャウフェレがツイッターに投稿したのは小学3年のイヤーブック。クラスメイトとともに将来何になりたいか綴られているが、友達が「パイロット」「歌手」「ショップオーナー」などと書くなか、シャウフェレの欄には「プロゴルファー」と明記されている。
さすがに金メダリストとは書かれていないが、彼が当時の夢を叶え、PGAツアーで4勝を挙げるトッププロになったのは喝采に値する。
幼少期からクラブを握ることが多い最近のプロは、シャウフェレのように“夢はプロゴルファー”という選手が圧倒的に多い。「5歳のときにプロの試合を見に行き、その光景に魅せられた」というのはT・ハットン。大多数が夢を叶え、戦いの舞台に立っているのだ。
しかし、なかには変わり種も。たとえばホンダクラシックでツアー初優勝を挙げたS・ストラカは「投手になりたかった」というし、V・ホブランは「サッカーかテコンドー選手」だそう。
E・エルスやA・ソレンスタムはテニス選手になる夢を持っていたが、エルスは父親の意向もありゴルフを選択。アニカはあまりにもテニスの世界で燃え尽きてゴルファーになった。
初めて触れたスポーツがサモア伝承の「ファイヤーナイフダンス」というT・フィナウの夢は意外にもシェフ。ツアーきっての身体能力を誇りながら「食べることが大好きだったからシェフになりたかった」と微笑ましい。
また全米女子プロチャンピオンのD・カンは「子供の頃からずっと女優になりたいと思っていたの。プロゴルファーは夢じゃなかった」
夢を叶えた者、夢ではなかったことに才能を発揮した者。人生は面白い。
週刊ゴルフダイジェスト3月22日号より
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