30にして初優勝、40にしてマスターズへ。大正生まれの遅咲きプロ・石井朝夫逝去。98年の生涯を振り返る
日本プロゴルフ界の勃興期を支えたレジェンドがまた1人、泉下の客となった。
石井朝夫、98歳。1923年、現在の静岡県伊東市富戸に生まれる。そこで生まれた者は男女を問わず、川奈ホテルGCが上級の就職先だ。男子の多くはキャディとして働く。石井も例外ではなく、15歳でキャディとして勤めるが、戦時中は徴用工。復員後は川奈に戻ったものの再雇用されず、路頭に迷った時期もあったという。
紆余曲折を経て、プロとして初勝利をあげたのは1953年、30歳のときだった。石井は遅咲きながら、その開花時間が長かったことで知られる。
日本プロゴルフ界の黎明期が宮本留吉らとすれば、石井はその2世代下で林由郎がライバル。林は初勝利が26歳で、1950年代は中村寅吉と林の時代だったといえる。しかし、石井は1961年、中日クラウンズを38歳で制してから、60年代はレギュラーツアーで活躍。70~90年代はシニアツアーで出場するたび勝利した。1964年から3年連続でマスターズへも出場しているのだ。いかに息が長かったかの証左だろう。ゴルフ殿堂入りも果たした。
プレースタイルは正確無比、ショットメーカーだったという。駆け出しの記者にとっては、石井の生き方が狷介孤高に見えた。近づき難かった。川奈で弟子筋だった山本信弘は「若い時から自分がいちばん強いと自信があったのに、なかなか勝てないことから、自尊心が内にこもっていったのでは……」。
山本にとって思い出が2つある。「1つは中日クラウンズに勝って副賞のクルマで川奈に凱旋したこと。もう1つはスウィングを見てもらった折、『お前のは“空振り”しているに過ぎん。アクセルふかしているのに、ヘッド(芯)には伝わっていない』と。座右の銘になりました」
それぞれの思いを残して人が過ぎていく……。合掌
(特別編集委員・古川正則)
週刊ゴルフダイジェスト2022年2月22日号より