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【わかったなんて言えません】Vol.54 比嘉一貴#1「大学進学を決めた理由は“骨が折れた”から」

「ゲンちゃん」こと時松隆光がプロを招いてトークをする連載「わかった! なんて言えません」。今週からのゲストは、8月のセガサミーカップでツアー2勝目を挙げた比嘉一貴プロ。今回はプロ入り前の「選択」についてのお話です。

ホスト/時松隆光

1993年生まれ、福岡県出身。ツアー通算3勝。プロ10年目。テンフィンガーグリップで戦う。愛称は“ゲンちゃん”

ご指名/比嘉一貴

沖縄生まれ。ツアー2勝。本部高校、東北福祉大時代から活躍。17年プロ入り。158㎝と小柄ながらキレのあるショットが武器

時松 一貴とは2歳違いだけど、初めて会ったのはいつだっけ。

比嘉 小郡CCでやった全中(全国中学校ゴルフ選手権大会)の予選じゃないですか。僕が中一で源蔵さんが中三の時ですよ。

時松 それからジュニア時代は、けっこう一緒に回ったよな。

比嘉 僕は小学生の頃は沖縄からなかなか外に出られなくて、中学生になって九州のジュニアの試合に出るようになった時に、九州で強い人は誰かと調べたらダントツで源蔵さんだったので、名前だけは知っていました。「時松源蔵」って名前からして強そうだなって思っていたんですけど、初めて会った時、あ、この人だなって一目でわかりました。

時松 その後、僕は研修生になって、一貴は大学に行ったので、その4年間は会うことがなかったけど。

比嘉 実は僕も高校卒業と同時にプロ転向するプランだったんですけど、指を折っちゃってプランが変わったというか。

時松 指が折れたの。

比嘉 はい。体育の授業でバスケットをやっている時に。国体の試合が間近にあったから見学していたんですけど、自分の組のチームが負けていたので、出たら、折れました。

時松 それで大学にいくことにしたの。

比嘉 もともとはプロ志望でした。早く自立したい気持ちのほうが強かったし、源蔵さんとか(香妻)陣一朗さんとか、九州のアマチュアで高卒でプロ転向する人に憧れてというか、後に続きたい気持ちがあった。でもその一方で、大学に行きたいなという気持ちもあった。それで、指を折ってプロ転向を断念したタイミングで阿部監督(東北福祉大)に拾ってもらったんです。

時松 結果的に、大学に行ってよかったと思う?

比嘉 メチャクチャよかったです。福祉大に行っていなかったら多分、今の自分はなかった。何より練習環境がすごくいいんです。毎日グリーンキーパーが整備してくれるグリーンが寮の横にあるし、練習場もトレーニング施設もあるし。

時松 練習は厳しかったの?

比嘉 いや。部活としての活動はそんな大変ではなかったと思います。でもそのぶん時間があるので、その時間で何をするのかは各自が決めるんです。そこに強制はなくて、でも環境は整えてあるというスタンスで、自主性を重視するやり方でした。

時松 それはプロ的だね。だから福祉大の選手はプロの世界で即、活躍できるんだろうね。

比嘉 源蔵さんは、なんで大学に行かなかったんですか。

時松 早く働きたいと思ったからかな。よくプロになるには大学に行ったほうがよいか悪いかの話になるけど、正直、どっちがよいかは決められないよね。

比嘉 女子は成長が早いし、選手寿命が男子よりも短いので、高卒でプロ入りするほうがよいのかもしれないけど、男子は比較的、大学卒のほうが成功しているイメージがあります。特に最近は、高卒からのプロって、久常涼とかほんと何人かしかいないイメージですよね。多分、昔みたいにゴルフ場の研修生からプロになるという選択肢がなくなっているというのも関係していると思いますけど。

時松 大学の4年間で、早くプロになりたいという焦りみたいなのはなかった?

比嘉 正直、4年間は確かに長いな、早くプロ転向したいなという気持ちになることもあったので、他の大学に行っていたらそうしたかもしれないですけど、福祉大は4年間キッチリやって卒業するというスタンスだった。入学する時にその覚悟があったので、そんなに焦りはなかったです。もちろん、松山(英樹)さんや金谷拓実みたいに在学中に優勝したらまた別の話ですけれど。今思えば、大学の4年間でしかできないことがあったので、よかったと思いますね。

16年のVISA太平洋で偉大な先輩・松山英樹と楽しそうに回る大学時代の比嘉。「スター選手がたくさんいて、そんな先輩方に可愛がってもらえたのもよかったです」

時松 高校生からプロになった(石川)遼さんのケースと、大学で力をつけてからプロになった松山さんのケースと、どっちも正解なんだから。結局、自分で決めることが後悔もないし、それが正解だと思うよね。

比嘉 そうですね。

時松 一貴とは最近、マッチプレーで回ったよな。

比嘉 はい。あの試合、15番を終わって源蔵さんが2アップだったんですよね。

時松 そこから自分はダボ、パー、ボギー。

比嘉 僕がパー、バーディ、パーでしたね。

時松 16番に素ダボしたら次の17番で一貴が10メートルのパットをボコッと入れてバーディを取った。

比嘉 あの試合は自分でもよくやったと思います。というか、源蔵さんはマッチプレーが強いから、流れ的にも源蔵さんの勝ちパターンだったんですけど、最後にやってくれましたね(笑)。

時松 やっちゃったなぁ。

(つづく)

週刊ゴルフダイジェスト2021年11月2日号より