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【ノンフィクション】「忘れられたくない」どん底からの大逆転。堀琴音、3年間の苦闘

TEXT/Minori Fukushima PHOTO/Shinji Osawa、Hiroyuki Okazawa THANKS/森永製菓トレーニングラボ

7月のニッポンハムレディスでレギュラーツアー初優勝を飾った堀琴音。プロ入り8年目、プレーオフ3ホール目を競り勝っての勝利だった。苦しみ悩んだ時間。“こっちゃん”は逃げなかった――変化の3年を追った。

ほり・ことね。1996年生まれ、徳島県出身。2014年プロテスト合格。翌年賞金ランク33位でシードを獲得、LPGA新人賞に輝く。2018年にシード落ちを喫し、不振にあえぐも、今年ニッポンハムレディスで復活優勝を果たした

「バンザイした後
悔しい3年がフラッシュバックした」

初優勝から1カ月。堀琴音は今日も、ルーティンとなっているトレーニングとケアのため、森永製菓のトレーニングラボにいる。ここで週1~2回、1時間ほど汗を流す。

「ここではケアも含めたコンディショニングトレーニングを行っています。ゴルフは捻転する競技。回転のスピードを上げるメニューも入れて、堀選手本来の正しい体の使い方を身につけてもらいます。当初は体幹トレが全然できずキツイと言っていましたから、基本からやり直しました。今は応用的なこともこなせるようになった。モチベーションも上がり、意識が変わってきたのがわかります」

19年から担当についたトレーナーの中島裕がこう語る隣で、堀は少し照れくさそうに「私のキャラじゃないですよね。でもやらないと試合に出続けるのに体がもたない。“キャラ変”です」と話す。

そこには20歳のときに話を聞いた“こっちゃん”はいない。

「5年経ちましたから。逆にあのままだとヤバイでしょう」

期待を背負って戦い続け、どん底まで落ち、這い上がり、初優勝でステージを1つ上げたこっちゃんは、確かに逞しくなった。

ウィニングパットを沈めた瞬間――堀は頭が真っ白になったという。そして嬉しくてバンザイをして周りの光景を見たとき、「優勝している人が見るのってこういう光景なんだ」と感じた。

「でも、そのとき、一気に過去がフラッシュバックしたんです。悪くなってからの3年がブワーッと押し寄せた。あのときはあんな球を打ったなとか、試合であんなに右に打ってOBしたなとか、裏で『琴音ちゃんはもうムリだよ』と言う人がいたことを思い出したり……3年間悔しかったことが1つずつ頭に思い浮かびました」

そうして次にきた感情は「頑張ってよかった」だった。


「気づいたら泣いていました。こらえられなくなっちゃって。でも、すぐに(プレーオフの相手、若林)舞衣子さんに謝りにいったんです。最後の握手もせず、すぐにいなくなってしまったから」

表彰式のときには、本当にゴルフをやめなくてよかったと思えた。「初めて自分を褒めていました。今日は、そうしてもいいかもしれないと思えたんです」

7月のニッポンハムレディスで、若林舞衣子とのプレーオフを制し逆転優勝。プロ8年目で涙の初優勝を果たした

* *

1996年、徳島で生まれた堀琴音は、姉の奈津佳とともにジュニア時代からトップ選手だった。経歴は華麗で、14年にはステップ・アップ・ツアーでアマチュア優勝、直後のプロテストは3位通過、その後再びステップでプロ初優勝を飾り、翌15年には賞金ランク33位で初のシード権獲得。16年は日本女子オープンで2位に入り賞金ランクは11位。レギュラーツアー初優勝はすぐそこにあるように思えた。17年は5週連続トップ5入りなど賞金ランク21位。ただ、期待が大きいぶん「勝てそうで勝てない選手」などと言われたりもするようになる。

この頃、堀自身に違和感が出はじめる。

「少しずつ、調子が悪いな、球がつかまらないな……と。そして17年の終盤は予選落ちが続き、エリエールレディスで6番アイアンをすごく引っかけてOBになったんです。そのホールはトリプルボギー。その1打の感覚が体に残っちゃって。引っかけがイヤで、右にしかいかなくなった」

そのオフは違和感を直すために猛練習した。するともっとわからなくなった。真っすぐ飛ぶ感じがしなくなった。そのうちパッティングまで悪くなっていった。

「噂も聞こえてくるんです。あの子、絶対イップスだよねと。でも自分ではイップスじゃないと思っていた。周りはそう言えばいいと思っているんでしょうって。そうしたらもう、周りの言うことも聞けなくなっていく。私の気持ちなんかわからない、と思うと言葉が耳に入ってこないんです」

予選落ちが続くと時間ができる。より多くの時間を練習に費やす。

「ドツボですよね。眠れなくもなった。疲れも溜まって悪循環です。腰や肩甲骨も張って体も悲鳴をあげていた。気晴らししようと言われても、ゴルフが上手くできないと何をしても晴れないんです」

そんなとき、プロコーチの森守洋と出会った。18年のことだ。同じように「悩んだ」経験がある原江里菜が声をかけてくれた。

「すがる思いでした。どうすればいいか、右も左もわからない状態。一緒にスタジオに行ったんです」

森とは最初からフィーリングが合った。「私、イップスですか? と言ったら、何言ってるの、そんなわけない。こっちゃんがイップスだったら皆そうだからって。そう言ってくれる人がいなかったから嬉しかったし、そういう考えを持っている人とだったらやっていけるかもしれないと思えたんです」

森は、原江里菜を不調から立ち直らせている。その実績も信用できた。そしてアドレスの仕方から一つ一つ、細かく教えてくれた。

「アマチュアも教えているからか、プロだからそんなこと当然わかっているという感じではなく、一から教えてくれる。私もう、すべてがぐちゃぐちゃだったんです」

しかし、簡単に結果にはつながらない。焦りもした。

「ずっと焦っていました。早くよくならないといけないって。19年のQTも本当に悪くて……諦めそうになった自分もいました。もうムリじゃないかと」

逃げたと思われたくない
練習は裏切らない

何度もゴルフをやめようと思った。それでもやめられなかった。「今やめたら逃げたと言われる。世間にそう思われるのはイヤだ、忘れられたくないと思いました」

こっちゃんは、逃げなかった。すると、すべてがつながるときがくる。それが、今年の開幕戦、ダイキンオーキッドレディスだった。ここから堀の“キャラ変”が実を結んでいく。まずは、フェードボール主体のゴルフに変えた。

「森さんに言われて思い切って変えました。もとはドローヒッターでこだわりもあった。昔、打てていたから今も打てるはずと頑固な自分がいて。ドローのほうが飛ぶと思っていたし、フェードだとイヤなスライスになって距離が落ちると困るとも思いましたが、上手くフェアウェイにいったんです」

もともとショットメーカーの堀。パーオン率は16年が70.8%だったが、17年は67%、18年は57.9%、19年は58.2%までに落ちた。現在は70.2%でその復調ぶりがうかがえる

堀のスウィングに合った球筋はフェードボールだと見抜いていた森の、絶妙のタイミングでのアドバイスだったのだろう。

今年の2月から森の紹介で師事するパッティングコーチの橋本真和の指導もハマった。

「森さん、いいものは取り入れるべきと友だちを紹介してくれました。今までと真逆なことを言われてびっくり。テークバックは低く上げようとしていたのに、高く上げるようになったり。でもダイキンの初日からフィーリングがよくて、2日目には入るようになって69が出たんです」

自信は確信となり結果を生む。この試合で予選を通過したことで、さらに噛み合って進み始めた。

「すぐにキャロウェイの方に、フェード用のヘッドとシャフトにしてもらい、球の右滑りもなくなった。クラブに助けられるなんて思っていなくて。昔のクラブで打てば感覚が戻ると思い使っていましたが、道具でヘッドスピードが上がったり、ボールコントロールできるようになるとわかりました」

優勝した試合もフェードボールで攻めた。

結果は、新しいことを吸収しようとする意欲を堀のなかに生む。

「“ザ・フェード”のイメージの有村智恵さんとプライベートで回り、アドバイスをいただきました。もっとトレーニングしたほうがいいとか、スウィングはよくなってるから連戦に備えてもっと鍛えたほうがいいとか。森さんにも、フェード打ちで固めるなら、今はスウィングばかり意識しているけど、もっと体力をつけるよう言われた。すると今度はトレーナーさんが、私のスウィングに合わせて、ねじり系のクロスっぽい動きをメニューに入れてくれたり。ボールの勢いが強くなりましたし、1年通してよいパフォーマンスを続けるための土台もできてきました」

17年から通う「森永製菓トレーニングラボ」。今は、スウィングにつながる体幹トレーニングが中心メニューだ。最初は10回で息が切れていたトレーニングも、より負荷をかけてできるようになった。「自分がいいと思ったことは頑張って取り組めます」

そうして森がバッグを担いだ6月のアース・モンダミンカップで4位タイに入った。

「アースの最後のパットは緊張しました。これでシードが決まるかもしれないパット。シードを持っている人からしたらただの1.5mかもしれないけど、私の立場では勝負の1.5mだった。でもそこで『打ち方がわからない、手が動かない』となったんです。すると森さんが『そこに出すだけのイメージでいくしかないよ』って。その通りに打ったら入った。これがまた自信になった。そこからは戦う心の余裕も出てきました」

このとき、森には確信めいたものがあったようだ。「ラインがバンバン出ているから、優勝も近いよ」と堀の母にこっそり話していた。そしてニッポンハムレディス。最終日前日の堀のコメント「貪欲に頑張ります」を聞いて、森の確信はより強くなった。

「確かに私、今までそんなコメントをしたことがなくて。自然に出た感じです。森さん、たまたまお客さんと小樽に来ていて、最終日の終盤、会場に来てくれた。そういうタイプの人ではないと思っていましたが『おめでとう』と言ってくれて。教える立場の人も、必死に一緒に戦ってくれていたんだと思いました。コーチを代えるのってすごく難しい。私も正直迷いました。前のコーチのこともすごく好きだし尊敬もしている。人としてムリに別れたわけではない。でもやっぱり、タイミングもあるし、流れがきていたんでしょうね」

いつか、姉妹で優勝争いを

ツアー2勝の姉、奈津佳は、琴音が見ていないところで妹の優勝に涙したらしい。現在、井上透のもとで再起を図っている。別々に暮らしているが、ゴルフの話もするし、応援し合う。「お姉ちゃんに偉そうには言えませんが、きっともがいてると思うので、頑張ってほしいと思っています」

自分がよくなっていくのを
見るのは楽しい

自分のことを「頑固だ」というこっちゃんは、多くの出会いと積み重ねた練習で、知識と経験という水を吸収し花を咲かせた。こっちゃんは変わった。でも、相変わらず可憐で、泥臭くもある。

「私の座右の銘は『練習は裏切らない』。ルーキーキャンプで岡本綾子さんが、練習は裏切らないのでしっかり練習してくださいと言ってくださったことがすごく心に残っています。私はやっぱり我が強いんです。基本的には自分で決めてやろうとしますが、コーチ、トレーナーさん、栄養士さんなど自分以上に詳しい方々の言葉を聞ければ、心強いし、より成長できることがわかりました」

今後の課題を聞くと、「全部です」と貪欲な答えが返ってきた。

「技術面も体力面も、まだまだ足りないものが多い。でも、こう言えるのも優勝したからですよね」

結婚願望はまだない。今はゴルフがしたいとはっきり口にできる。

「一応、まだ25だと思っているんですが、試合で同組のなかで一番年上のときもあります(笑)」

20歳の頃から探している趣味もまだ見つかっていない。

「バッティングセンターに行くくらいかな。ネットショッピングも好きですが、それって趣味でしょうか(笑)。配信動画のドラマは見ます。『相棒』や『ドクターX』が好き。大門未知子と杉下右京には会いたい。一緒にラウンドしたいくらいです。でも結局、家でもゴルフのことを考えています。どういうトレーニングをしたらいいか、食事は何がいいだろうとか……」

ゴルフ漬けのこっちゃんの日々はしばらく変わりそうにない。

「次の目標は、まず2勝目。早く達成したいから、その先の目標はまだ考えられません。私はゴルフが好きなんですよね。仕事ですが、仕事の感じがしない」

変わらず“黒髪ロング”のこっちゃん。「短い髪は似合わないし、気づいたら黒髪のままでした。ここまできたら、白髪になるまで頑張ろうって(笑)」

真っすぐ、長く、しなやかに――そんなこっちゃんを、これからもずっと見ていきたい。

週刊ゴルフダイジェスト2021年9月14日号より

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