マスターズ制覇まで1カ月。番記者が見た松山英樹のスウィング改造ドキュメント
TEXT/Kenjiro Hattori(週刊GD) PHOTO/Taku Miyamoto
マスターズで歴史的な優勝を遂げた松山英樹。4日間を通して安定したドライバーショットをみせ、アイアンショットは何度もピンに絡みパトロンたちから称賛の声を浴びていた。長らく優勝から遠ざかっていた松山英樹がなぜこのタイミングで覚醒し優勝をたぐり寄せられたのか? マスターズからさかのぼること1カ月、3月のアメリカで彼を現場で見てきた番記者がその勝因を技術面から探った。
クラブがシャフト1、2本分
下から下りるようになった
松山英樹がオーガスタのグリーン上でグリーンジャケットを羽織る約1カ月前のこと。私は、アーノルド・パーマー招待、プレーヤーズ選手権の2試合の取材で、久しぶりに松山のもとを訪れた。そこで見た松山英樹は明らかに別人だった。
トップは以前よりフラットになり、トップでのフェース向きも今まで完全にオープンだったものが、スクエアフェースに近づいていた。また、今までドライバーを打った後、フィニッシュでピタッと止まっていたのが、自然にリバウンドするようなスウィングに変わっていた。
松山がスウィングをいじるのは何も珍しいことではない。たとえ「60 台」を出した日でも納得のいかないショットがその日に出ていれば、ホールアウト後に練習場へ向かって日没まで球を打つ、そんな姿は日常のことだ。
ただ、いつものスウィングチェンジは見た目には分からないほどの“マイナーチェンジ”が多かったが、今回の改造は明らかな“ビッグチェンジ”だった。
スウィングがそれだけ変われば、弾道も明らかに変わる。フェードの印象が強かった松山だったが、ストレートからややドロー気味の球が増え、試合が始まるとここ数年は見たことのないような左へのミスが出ていた。
松山がドライバーでミスショットをしたときはたいてい右のラフか林だが、私が見た2週間の試合、ドライバーの着弾点はフェアウェイか左のラフということが多かった。
ただし、その「左」を嫌がっているというよりは、以前より明らかに「球がつかまっている事実」に本人は満足している様子だった。
新しいスウィングを2年前のスウィングと見比べてみると、トップの形の違いもあるが、それ以上に目を見張るのはダウンスウィングでのクラブの下りる位置の違いだ。
2年前の写真を見ると、切り返しで右の肩口の中心よりやや上から、スティープ気味に(上から)クラブが下りていた。出球も、左に出るような、ときにカットに近い球だった。
それが今は右の肩口の中心よりシャフト1、2本分下からシャロー気味に下りて、出球も真っすぐからやや右へ出るように変化していた。
切り返しでクラブを下ろす位置をシャフト1、2本分ずらすというのは、並大抵の努力ではできない。まして試合を戦いながらそれをやるのは至難のワザ。
それでも、年が明けてから2カ月ほどの短いスパンのなかで、松山はその難しい課題に取り組み始めていた。
「球がつかまっている」
その事実は、世界ランキング上位の選手であっても、アマチュアと同様に嬉しいのかもしれない。
いつになく楽しそうにチームのみなで会話しながら練習する姿を見て、そう思わずにはいられなかった。
目澤コーチとタッグを組み
流れをつかんだ
もちろん、そのスウィングの変化には、新コーチの存在が大きい。
今年の頭から、松山英樹がゴルフ人生で初めてコーチをつけた。今までは、それこそスウィングを自分で作ってきたわけで、上手くいかないときも自分で解決法を探してきた。練習場で球を打ってはうなだれる姿は、見慣れた光景だった。自分の感覚のなかで答え合わせをしてきた男が、ついに第三者による”変化“を求めたのだ。
新コーチの目澤秀憲は、松山の要求に対し、始めこそ手探りで対応していたが、徐々に自身のエキスを注入していった。
3月頭の頃は、目澤がアメリカに渡ってからちょうど1カ月が経った時期。目澤が得意とするスウィングの分析力・コーチング力が、松山のスウィングの悩みを徐々に減らしていっていた。
松山の“感覚”をコーチが補完
実際に練習場の松山と目澤のやりとりを見ていると、去年までの練習と明らかに違うことがあった。
ひとつはフライトスコープでデータを必ずチェックすること。これまでも弾道測定器を横に置いて数値を見ることはあったが、ここまで毎回データを見ることはなかった。
目澤のアドバイスのもと、クラブ軌道や出球の数値をチェックして、どのようなスウィングをしたら再現性が高い、いい軌道、いい出球が出せるかを探っていたのだ。
また、目澤は1打ごとにスウィングを動画で撮り、松山に動画を見せ、その都度、2人でディスカッションを行っていた。
今まで感覚的にやってきた男のもとに、デジタルでの客観的な分析が入り、松山が持つアナログ的な部分を補完する。そんな印象を受けた。そんなデジタルとアナログの融合をとくに感じたのが、あるひとつの練習だった。
プレーヤーズ選手権が行われたTPCソーグラスの練習場で、松山はボールの先に1本の棒を刺し、その棒に当てないように球を打つ練習をやっていた。まさに「出球を管理する練習」であり、松山はその棒の右に球を出すように打っていた。
棒の右に打ち出す練習を繰り返す
ターゲットラインの延長線上に棒を立てて、その右側にボールを通す練習を繰り返していた
推測するに、「クラブが上から入って出球が左に出る」という癖を直すために、この練習で出球を右に矯正し、「つかまった球を打つ」方向へシフトしていたのだ。
ただ、短いクラブではできても、長いクラブになると球を棒に当ててしまう。当たらないよう打つにはどんなスウィングをすればいいのか? 撮った動画をチェックして、目澤と話し合う。そのやり取りを繰り返していた。
基本的に目澤は、「こういった動きをしたらどうか」というアドバイスはするが、それを押し付けたりはしない。具体的な体の動かし方は、最終的には松山本人が答えを探さなければいけない。本人が納得する動きでないと、たとえ練習場でできてもそれを試合でやるのが難しいからだ。
取り組んでいることを、実際に緊張感のあるロケーションでなかなかやり切れるものではない。ましてやそれをPGAツアーという難コースだらけの舞台でやるのだから……。
追い求めてきたスウィングを
最後までやり切った
アーノルド・パーマー招待はギリギリの予選通過で、決勝ラウンドで追い上げたものの18位タイ、翌週のプレーヤーズ選手権は初日に76を叩き、2日目巻き返したものの1打足りずに予選落ちを喫していた。
やりたい理想のスウィングはあるが、まだその理想には到達していない。正直、新しいスウィングをものにするには、まだまだ時間がかかると思っていた。
しかし、マスターズの4日間で見た松山英樹は、取り組んできたスウィングを完全にものにしているように思えた。
自分なりの答えを松山は見つけ出したのではないか。
フィニッシュで手を離すことなく、自信をもって打球を見守る松山の姿を見ると、そう思わずにいられなかった。
実際、松山の言葉にも変化があった。マスターズの試合前のコメントで、「いい状態、今週は楽しみです」と話していた。「いい状態」という言葉が松山の口から出たことが、今まで松山の取材をしていて過去にあっただろうか。
しかもその言葉を、松山本人が一番優勝を欲しているであろうマスターズを前にして発したということは、スウィングに“相当な手ごたえ”を持っていたに違いない。そのわずか数週間前には、「マスターズのことなど今はまったく考えられない」と言っていたのに、だ。
マスターズの週についに感覚をつかんだ
では、いったい何をつかんだのか? きっかけはどんなタイミングで生まれたのか?
優勝から3日後に行われた帰国後の会見で、松山にその質問をぶつけてみた。
「プレーヤーズ選手権で予選落ちしましたが、そのときは自分のなかでは悪い状態とは思っていなかったんです。でもその後の2試合で、自分が良かったと思うときから真逆な感じがあって。本当になんでこうなったんだろう、1月からやっていることがムダになってしまった感じがして……。でもそれから少しずつコーチ、キャディ、トレーナーと話をして、徐々に徐々に良くなってきて、前の週(バレロテキサスオープン)には良くなっていました。マスターズの週に入って、『あとここがうまくいけばな』というところまできていました。でも水曜日の練習が終わってから、『今週はいけるかもしれない』っていうのは自分のなかで何かがあったんです」
その松山がつかんだ新しいスウィングは72ホールを戦い切るのに十分だった。3日目の「65」も圧巻だったが、優勝をほぼ決定づけた、18番のドライバーでのティーショットは、苦しんでもがいて試行錯誤してつかんだ、まさに「スウィング改造の成功の果実」だった。
チーム松山に目澤というコーチが加わり、松山がもうひとつの“目”を持ったのも大きかったが、最終的にはやはりアナログな感覚の部分で松山が答えを見つけ、彼はそれを大舞台でやり切ったのだ。
その答えが何なのか、何に気づいたのかは、おそらく松山のことだから聞いてもはぐらかすだろうが、いつか時間が経ったら、その答えを聞いてみたいと思う。
この調子なら、松山英樹はまだまだ勝ち続けそうな気がする。日本人初のメジャーチャンプという称号をひっさげ、さらに強くなった松山英樹をこれからも追いかけていきたい。
週刊ゴルフダイジェスト2021年5月4日号より