【名手の名言】尾崎将司「歳を重ねても、夢・意欲は歳を取らない」
レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は日本のプロトーナメント隆盛の礎を築いたジャンボ尾崎の言葉を2つご紹介!
歳を重ねても
夢・意欲は歳を取らない
尾崎将司
2013年、66歳で出場したつるやオープンで「62」というスコアを叩き出し、記録的なエージシュートを達成したジャンボ尾崎。その価値はレギュラーツアーで、しかもコース記録タイという数字にも歴然としている。
さらに2017年に70歳で出場したHONMA TOURWORLD CUPでも「70」を叩き出し、2度目のエージシュート。ツアー史上2回目の快挙にゴルフ界は沸いた。
尾崎の愛する詩がある。サミュエル・ウルマンの「青春とは」だ。
「青春とは人生の一時期ではなく、心のありかたのことだ」
で始まり、歳を重ねても、想像力、強靭な意志、情熱、勇気を失わなければいつでも青春、とうたう詩の内容に、尾崎は自分を重ねている。
尾崎のこの心象がとてつもないエージシュートを生んだ原動力となったのは間違いない。
帽子をとって、手袋を脱ぎ
手を拭いて握手しましたよ
尾崎将司
1980年代の始め、ジャンボ尾崎はスランプにあえいでいた。賞金ランクも3位以下より外したことがなかったのに、81年、28位にまで急落。
そんななか、82年、周囲の反対を押し切り、米国フロリダの試合に遠征。目的はジャンボがたった1人だけ崇拝する帝王、ジャック・ニクラスに会うためだった。
その日、ニクラスは66を出したが、ラウンドが終わると練習場へ直行。黙々とドライバーショットの調整に汗を流した。
そのニクラスの練習の様子を、正面、後方からジャンボはずっと見続けた。それは陽が落ちかけ、ニクラスを自宅から送迎するヘリがもう飛び立たなければまずいという時間まで続けられた。2時間は経っていただろうか。
促されて練習を止めたニクラスに、ジャンボは帽子をとり、汗を拭き取った手で握手を求めたのだ。
その2年後から、ジャンボの世界にも例を見ない驚異の快進撃が始まったのだった。
■尾崎将司(1947年~)
1947年、徳島県に生まれる。幼年時から野球に熱中し、海南高では投手、4番バッターで選抜甲子園で優勝。卒業後プロ野球・西鉄ライオンズに入団するも、芽が出ず、プロゴルファーへ転身。70年プロテスト合格。そこから天賦の才能は花開き、遅咲きのライバル青木功とともに、日本のトーナメント隆盛の礎をつくった。勝利数113。賞金王12回。圧倒的な数字を残している。
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