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【インタビュー】神谷和奏<前編>「出産3日前もラウンドしていました」一児の母がプロテストに合格するまで

曲がりくねった道の先にあるもの……光を信じて歩いた二人と“仲間”に加わった小さな女の子、周りにいたたくさんの人たちが紡いだ、ちょっと奇跡のような、でも日常の風景にすっと溶け込んだような、心がキュッとするストーリー。

PHOTO/Akira Kato、Hiroaki Arihara、Sinji Osawa

神谷和奏 かみや・わかな 2001年生まれ。千葉県出身。ゴルフ歴は3歳~。身長165センチ
神谷幸宏 かみや・ゆきひろ 1987年生まれ。埼玉県出身。スポーツシューフィッター、ティーチングプロ

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妊娠・出産したからといって
プロゴルファーになる夢を
諦める気は全然なかったです

2023年の女子プロテスト。合格率は3%余りという超難関をくぐり抜けた神谷和奏(22)。馬場咲希や髙木優奈らすでに名前をよく知られたアマチュアゴルファーたちのなかで、神谷は少々異彩を放つ存在だった。最終プロテストの会場は岡山県のJFE瀬戸内海GC。コース内には入れないため、受験者の保護者やコーチたちは祈るような気持ちで待つしかない。そのなかで同じように祈り続けていたのが神谷幸宏さん(36)と、娘の咲凛ちゃん(2)。二人は、和奏の夫と長女。そう、4回目の受験で合格を手にした22歳は、妻であり一児の母でもあるのだ。

プロテスト合格時。咲凛ちゃんを抱えホッとした表情に。母の名をしっかり指さす娘

「出産後にプロテストに合格したケースは、ツアー制度になってからは初のことだったそうです」と幸宏さん。「週刊ゴルフダイジェスト」や「月刊ゴルフダイジェスト」の熱心な読者ならピンとくる名前かもしれない。幸宏さんは、スポーツシューフィッターやゴルフフィットネストレーナーの資格を持ち、小誌の記者も「ゴルフシューズのことでわからないことがあれば神谷さんに聞く」という“お助けマン”だった。近年はレッスンに力を入れているとは聞いていたが……。

和奏との出会いもレッスン。埼玉県越谷市の「越谷ゴルフリンクス練習場」に練習に来ていた和奏はティーチングに来ていた幸宏さんと、レッスンのほか少しずつ仕事の相談などで話をするように。「実は高校卒業後、ゴルフ場に住み込みで働いていました。その仕事環境にも変化があり、両親が離婚したタイミングも重なり、住むところに悩んでいたのです」。ならばと、幸宏さんが「部屋を探そう」と提案し、和奏は安心できる環境を得た。二人は結婚、妊娠・出産を経て、その絆を深めていく。安定した家庭を築きながらも、和奏はプロゴルファーになる夢はちっとも諦めていなかった。

「妊娠中は内勤の仕事をしながら練習をしていました。練習場に行く機会は少なくなりましたが、ラウンドはしていました。出産の3日前も普通にラウンドしていたくらいです」と和奏。幸宏さんがその際の動画を見せてくれながら「もともと高いトップをしていましたが、かなりフラットなスウィングになっています。なぜかって、お腹がねじれないからです(笑)」。実は、和奏、そのスウィングを意識的に実践していたという。「だって、命がいるので」とサラリと言う若き母。そもそも妊娠中にゴルフをしていいのかわからず、ネットで妊娠中に推奨されるスポーツ・されないスポーツの項目を必死に調べたが「ゴルフ」はどちらにも入っていない。結局、医師に相談し、体調が良ければOKとなり、無理しない程度のラウンドが出産3日前まで続いたのだという。

しかも、その“スウィング改造”は奏功し、現在も以前よりはフラット気味のスウィングを維持している。妊娠中は重いものが振れなくなることから、スペックもチェンジ。「妊娠中の人にクラブをフィッティングした経験はかなりレアだと思います(笑)」と幸宏さん。現在は、また重めのシャフトも振れるようになり、妻の体力や体調の変化はクラブフィッターの顔も持つ幸宏さんが注意深く見守っている。

出産の日は「お腹が痛くて、朝5時ごろ目が覚めました。痛みの感覚が短くなってきたので、病院に電話したら『うーん、その声の感じからするとまだ大丈夫ですね』って言われて。結局、8時か9時に病院に行って、11時半頃に生まれました。生まれてすぐにしたのは、食事。朝から食べてなかったのでお腹がペコペコでした(笑)」。

体の回復は早く、出産後ちょうど1カ月で、まずは練習場へ。「それはそれはダフりました(笑)」。妊娠時に軽くしたクラブが合わなかったこともあるが「これは、まだまだだと思って、2カ月くらいはゴルフをお休み。その後、腹筋やスクワットなど軽いトレーニングから体を戻していきました。体力はさすがに随分落ちていました」。

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週刊ゴルフダイジェスト2024年1月9・16日合併号より