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【名手の名言】中嶋常幸「すべては一球のために」

レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は青木功、尾崎将司と並んでAONのひとりとしてゴルフ界をリードした中嶋常幸の言葉を2つご紹介!


すべては一球のために

中嶋常幸


70年代、尾崎将司ことジャンボ尾崎の出現によって、プロゴルフ界は未曾有の隆盛をみせ、青木功がそれに続き、AO時代と呼ばれた。

そして80年代になると父の英才教育による“巨人の星”のゴルフ版、“サイボーグ”中嶋常幸が出現。三つ巴のAON時代を築き、野球(それも巨人)一辺倒だったスポーツ紙の第一面をゴルフが飾るほど、トーナメント界は沸騰したのだ。

表題の言葉「すべては一球のために」は、そんな中嶋がモットーにしていた言葉でもある。

食卓の上にたくさんのご馳走が並んでいるとする。しかし、どんなご馳走であろうと、一度には食べられない。1個ずつしか食べられはしないのだ。

ゴルフも同じで、一度に1ショットしか打てないのである。だからこそ、その1ショットに集中し、全力を傾けなければならないというのだ。

これは球聖ボビー・ジョーンズが「ゴルフは一度にワンストロークしかプレーできない」と喝破していたことを、中嶋流にアレンジし取り入れたのだろう。

球を打つまでの一挙手一投足「すべては一球のために」と思ってラウンドすれば、今までのゴルフとはまた違う世界が見えてくるかもしれない。


なぜこうなったか分からない。
どうしたらいいのか……
イチからやり直しです。

中嶋常幸


表題の言葉は、中嶋が初めてオーガスタの土を踏んで、あえなく予選落ちをした直後のつぶやきである。

1978年、23歳の中嶋はマスターズが行われるオーガスタナショナルGCの入場門、マグノリアレーンをくぐった。練習日から体調も万全で「思ったほど難しくはない。1日2アンダーは軽い。4日間で8アンダーなら優勝争いにからめるでしょう!?」と、若者特有の怖いもの知らずな発言を日本人記者たちにふりまき、スポーツ紙はそのことを派手に書きまくった。

しかし、ふたを開けると初日80と大荒れ。2日目は、初日の遅れを取り戻そうと攻めに攻めたが、オーガスタの魔女はこの若者の鼻っ柱をへし折ってしまったのだ。アーメンコーナーの最後、13番パー5でなんと13打の大叩き。この日も80という無残な結果に終わってしまった。

そのラウンドの直後、取り囲む記者団を前に、うつむいてもらした言葉である。

この13打は今もマスターズの1ホール最多打数記録である。「オーガスタの怖さを初めて知りました」と、中嶋は去った。しかしその後「あの経験があったからゴルフを続けられました」と精進。86年の同大会では8位タイでフィニッシュし、見事リベンジを果たす。 ゴルフに対して謙虚になることを学び、成長した中嶋。その後、日本のゴルフ界をリードすることになっていくのである。

■中嶋常幸(1954~)

なかじま・つねゆき。群馬県生まれ。10歳でゴルフを始め、父の熾烈極まる英才教育のもと才能を開花。18歳で全日本パブリック、日本アマを制覇。21歳の時にプロ転向。2年後の77年にはメジャーの日本プロを獲り、80年代に入ると日本シリーズ、日本プロマッチ、日本オープンを次々に制覇、日本版グランドスラムを達成した。86年のマスターズでは、日本人初のアンダーパーで8位タイ。同年の全英オープンでは、最終日最終組でラウンド。88年全米プロでは日本人ベストの3位に入るなど大活躍。ジャンボ尾崎、青木功とAON時代を確立し、80~90年代のゴルフシーンをリードした。ツアー通算48勝。

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  • 一流と称される者には、自身のゴルフスタイルを確立するためのきっかけとなった転機がある。例えばそれは、ある1ホールの苦しみかもしれない。例えばそれは、ある1ショットの歓びかもしれない。積み重ねてきた勝利と敗北の記憶を辿りつつ、プロゴルファーが静かに語る、ターニングポイント。中嶋常幸の場合、それは、運転中に聴いたカセットテープでもあった。 TEXT/Yuzuru Hirayama PHOTO/……