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【陳さんとまわろう!】Vol.242 ダウンブロー、フットワーク…私のゴルフの歴史を感じさせる言葉です

日本ゴルフ界のレジェンド、陳清波さんが自身のゴルフ観を語る当連載。「私はものすごく運のいい男なんだ」と陳さんが振り返る理由とは?

TEXT/Ken Tsukada ILLUST/Takashi Matsumoto PHOTO/Tadashi Anezaki THANKS/河口湖CC、久我山ゴルフ

前回のお話はこちら

日本に来て、2カ月もたたないうちに
日本オープン優勝

――1959年の8月、東京ゴルフ倶楽部所属の新人プロとして活動を開始した陳さんですが、そのとき年齢は27歳でした。

陳さん はい。ゴルフを始めて10年目のときだねえ。身長が172センチ、体重が57キロ。瘦せていたね。体力がなかったので、テークバックするときに、フォワードプレスをやっていましたよ。飛球方向に少し手を出して、ハンドファーストの度合いを強めてからテークバックに入っていくわけね。こうすると非力でもクラブを上げやすいんだねえ。バックスウィングで体をねじるためには、ある程度の体力が必要なんですよ。しかしフォワードプレスしてからクラブを上げると、体力がなくてもねじれるようになるんだ。

――陳さんのトップ・オブ・スウィングはいまは浅いですけれども、そのころは深かったですよね。

陳さん そう。ドライバーショットのときは手の位置が頭より少し高かったからね。でもいまは手が右肩にきたところがトップ・オブ・スウィングだ。低いですよ。でも私は手首が柔らかいからクラブが地面と平行になるぐらいの深さまで収められるのよ。


――フォワードプレスはこの年の日本オープン(神奈川・相模原GC)でもやっていたんですよね。

陳さん やっていました。しかし日本のトップにいる選手はやっていなかったはずですよ。それなのに二線級の私がやっていると、変な感じに見えるんだね。格好悪いの。ですからしばらくしてやめました。恥ずかしいものね。でもフォワードプレスすることに反対はしませんよ。テークバックのきっかけをつくるためにはいいことですから。

――この年の日本オープンは陳さんと島村祐正プロが296のイーブンパーで並んで翌日18ホールのプレーオフを戦い、陳さんが5打差をつけて見事優勝しました。

陳さん それが10月1日。私の誕生日ですよ。28歳のね。こんなことってあるんだなあって思いましたよ。それも日本に来て2カ月もかからないうちの優勝だものね。有り得ないこと。私はものすごく運のいい男なんだ。こんなに運のいい人間はいないの。

――歌の世界でいえば新人歌手が大ヒットを飛ばしてレコード大賞を取ったようなものですか。

陳さん アハハ……、ほんと、そうですよ。これが日本に来て2年後、3年後に優勝してもそんなに話題にならないものね。そうすれば報知新聞が私の技術レッスンを始めることはなかったはずだし、その連載をまとめた「陳清波の近代ゴルフ」(1960年報知新聞社刊)だって出ていないはずなんだ。この本はものすごく売れてさ、私の名前を広めてくれたからね。出ていなかったらいまごろ私はどうなっていたかわからなかったよ。(笑)

――近代ゴルフに出てくるダウンブローとかターンアップ、翌年出版の続編に出てくるニーアクションやフットワークという言葉も存在しなかったかもしれません。

陳さん そうかもよ。こういう言葉はこの本で紹介した言葉ですよ。以前、私の右脚を見せたことがあるでしょ。ふくらはぎが左よりひと回り太かったでしょ。それから右足の親指が女性の外反母趾のように曲がっちゃっているからね。これはフットワークとニーアクションを長年やってきたための痕跡。私のゴルフの歴史を感じさせるでしょ。

陳清波

陳清波

ちん・せいは。1931年生まれ。台湾出身。マスターズ6回連続出場など60年代に世界で日本で大活躍。「陳清波のモダンゴルフ」で多くのファンを生み出し、日本のゴルフ界をリードしてきた

月刊ゴルフダイジェスト2023年11月号より