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【ツアーレップのお仕事】#2 プロギア・中村好秀さん「プロの意見を製品にフィードバックするための橋渡し役」

試合会場でプロの要望を聞いてクラブの調整などを行うメーカーの用具担当者を“ツアーレップ”と呼ぶ。「Tour Representative」の略で、ツアー会場でメーカーを代表(Representative)する存在だからだ。では具体的にどんなことをしているのか? 米ツアーを小平智とともに転戦し、現在は谷原秀人を担当している横浜ゴムの中村好秀さんに話を聞いた。

PHOTO/Takanori Miki

中村好秀 なかむら・よしひで。横浜ゴム スポーツ企画室 主幹 プロモーション ディレクター。1987年プロギア入社。3年目からクラブ開発に従事。08年からツアーレップとしてツアーを転戦。18年から2年半、小平智とともにPGAツアーを転戦

モノ作りが好きでクラブを作っていた

「ツアーレップになったのは2008年。谷原秀人プロと契約したのですが、当時の現場にはプロが求めるクラブをレスポンスよく作れる環境が整っていなかったんです。それで『中村が現場に行くしかないな』と言われ行くことになりました」とはプロギアのプロモーション ディレクター中村好秀氏。

「元々、プロギアに入社したのはブランド誕生から4年目の1987年。当時のプロギアは横浜ゴムの販売会社的な位置付けだったので、営業を2年間やってましたが、『500』アイアンの開発が進んでいるときに、僕を含めてゴルフを本格的にやってきた3人にテストクラブが渡され、1週間でレポートを書いてほしいと、横浜ゴムスポーツ事業部というモノ作りの部門から依頼があったんです。元々クラブが好きだったので、すごく細かいところまで書いて提出したら、実はこれがクラブを作れる人材をプロギアから引き抜こうというテストで、3年目からは横浜ゴムに出向することになりました」

中村氏、実は日体大ゴルフ部出身で、米山剛や芹澤大介とは学校は違えど同期でしのぎを削り合った仲。ゴルフの腕前だけでなく、工房やショップにも足繁く通っていて、自分のクラブをいじっていたという。

「そこからは商品企画がメインでモノを作る側になったのですが、人手が少なかったので展示会からカタログの制作、お店への説明など全部ひとりでやっていました。初めて手掛けたクラブは『DATA』アイアンと『リバース』ドライバー。アドバイザリー契約を結んでいたクラブ設計家の竹林隆光さんがいらした高崎に、毎週2~3日通ってマスターモデルを完成させ、それを持って海外の工場に出向きもしました」

契約選手の活躍でうれしい悲鳴

クラブ開発の20年間でも、新製品を広めるためにツアーに行ったりしてはいたが、2008年にツアーレップになると生活が激変。

「月曜に家を出て火、水の練習日はクラブ調整。試合初日の木曜に帰って来て、また翌週、となるはずだったんですが、この年、谷原プロだけでなく同じく契約していた矢野東プロの調子がよく、毎週のように優勝争いをしていたので、日曜も日帰りで試合会場に行ってました。この年は2人で4勝。全英オープンにも出場しました。ドライバーからFW、アイアン、ウェッジ、さらにはパターとボールまで、すべてプロギアのギアを使用する2選手が海外メジャーに出場したことは忘れられません」

谷原とは13年に契約を満了。翌14年に新たにチームプロギアに加わったのが前年の日本ゴルフツアー選手権で初優勝を飾った小平智だった。14年から毎年勝ち星を積み重ね17年には2勝。年末の世界ランクは51位で惜しくもマスターズ出場権(50位以内)に届かなかったものの、年明けのアジアでの2戦で連続2位となり、3月末の世界ランクで46位となりマスターズ初出場が決まった。

「小平プロと契約したときに『マスターズに行く』という目標を立てていたんです。それが5年で達成できました。しかも予選通過(28位タイ)。うれしかったですね。でもマスターズが終わって帰国しちゃったんです」

翌週のRBCヘリテージにも世界ランク50位以内の資格で出場した小平が日本人として史上5人目のPGAツアー制覇を成し遂げたのだ。

「現場にいられなくて悔しかったのですが、ネットのスコア速報にかじりついていました。プレーオフが終わったのが明け方の3時45分くらい。時間も忘れて関係者に連絡しまくりました(笑)」

この勝利で小平は20年までのPGAツアー出場権を手に入れることとなる。

「アメリカに付いて行くしかない。そう思いましたね。そして、そこから2年半、彼に同行しました。ただ、選手を大勢抱えている大手ブランドと異なり規模が違うので、同行するといっても選手と同じような大きなキャディバッグとケースにスペアのクラブを詰め込み、会場ではツアーバンの一角を借りてクラブの調整をしてました」

再びモノ作りにも携わるように

しかし、21年から小平はクラブ契約フリーの道を選んだ。

「でも、これで時間が少しできたんですね。彼のために作ったモデルを製品化した『00』アイアンはあったのですが、ほかに『これを使ってください』と胸を張って人に勧められるアイアンがプロギアにないことに気が付いたんです。そこで、しばらく離れていたけど、またクラブ開発に関わってみようかと。そんな思いで若手と一緒に作ったのが『01』『02』『03』『05』アイアンなんです」

22年6月には9年ぶりに谷原秀人と再び契約。5カ月後のシーズン最終戦、日本シリーズでは最新『RS F』ドライバーと『00』アイアンを使って優勝。昨シーズンも2勝を挙げている。

「さすがでしたね。クラブを替えてパッと3勝してしまう。でも彼のクラブに対するこだわりは、かつてのジャンボさん並み。月曜の夕方に会うと、火曜の朝までにやってほしいことのリクエストがあり、火曜の夕方にまた注文がある。まだ足りてない場合は水曜のプロアマのハーフターンで電話が来るので夕方までに間に合わせる。そして試合で使ってみて感じたことが日曜の夜にLINEで来て、来週はこうしてみたい、というのが毎週続くんです。またクラブにこだわりのある契約外選手に使ってもらい情報をもらってもいます。やはりゴルファーのなかでモノの評価を最も細かくできる人がツアープロ。彼らは道具に一切の妥協を許さず一発勝負でご飯を食べているので、そういう世界で生きている人の評価や情報を、会社のなかでモノを作ろうと考えているスタッフに伝え、フィードバックするのが僕の仕事だと思っています。そうやって生まれてくるプロギアの製品は最新のものが最良。前モデルの改善すべき点が必ず克服されているからです」

開発中の新しいドライバーもヘッドの形は中村氏が決めたという。「プロがアドレスでどう感じるか。トップライン、フェースの形、フェースに対してヘッド後方の形、第一印象ですべて決まってしまうからです。前作で課題となった部分はすべてプロの意見を入れて解消しています」

>>ダンロップ、キャロウェイのツアーレップ2人はこちら

週刊ゴルフダイジェスト2024年5月7・14日合併号より