「“外角低め”を打ち返すイメージ」でボールを強く押せるように。高山忠洋のスウィング改造ものがたり
高校では甲子園を目指し野球漬けの日々を送っていたが卒業後はプロゴルファーを目指し、なんとゴルフを始めて7年でシード選手になった逸材・高山忠洋。左手首からはじまり、腰、眼と選手生命を脅かす故障をしたものの、死に物狂いで乗り越え、昨年復活シードを獲得した。44歳になったいま、高山忠洋は何を考え、どんなことに取り組んでいるのか。スウィング改造のポイントを聞いた。
PHOTO/Tadashi Anezaki、JGTOimages THANKS/北九州オープンゴルフトーナメント
高山忠洋
たかやまただひろ。1978年生まれ。和歌山県出身。「侍ジャパン」元監督の小久保裕紀を輩出した星林高校で甲子園を目指し、野球に明け暮れる。卒業後、岐阜県のゴルフ場で研修生となり99年にプロ転向。02年に初シードを獲得し、05年にツアー初優勝。11年には年間2勝を挙げ、賞金ランク2位まで上り詰める。17年まで16年連続でシードを維持してきたが、眼の難病のため18年から休養。その後ツアーに復帰し、昨シーズン見事にシード復帰を果たした
ゾーンで押し込めるスウィングに
左手首を痛めたことで、スウィング改造に着手した高山。大前提として取り組んだのが、インパクトイメージを変えることだったという。
「野球の名残りでグリップエンドを体の近くに引きつけて内角の球をさばくようにスウィングをしていました。その振り方だと、ボールを“点”でとらえるイメージでした。でもダウンスウィングで手首の角度がきつくなるせいで、手首を痛めてしまったので、“外角低め”を打つイメージで振り下ろすように変えたんです。そうしたらボールを横から“ゾーン”で押し込むスウィングになってきて、曲がり幅が抑えられただけでなく、手首への負担も少なくなりました」
【2006年】
手首を返して“点”でとらえていた
【2022年】
低く長いインパクトゾーン
Point
ハンドファーストでフェースを返さない
数年前まではインパクト前に手首をコネているイメージだった
体とクラブが同調して振れるようになった
インパクトイメージを“点”から“ゾーン”へ変えたことで、飛距離が伸びたことに加え、曲がりも手首への負担も激減したという高山。しかしスウィング自体を大幅に変えたというよりは、アドレスでのボールとの距離を少し変えただけで、自然といい動きになったという。
「アドレスのとき、ボールの近くに立つようにしました。手首や腰を痛めていたときは、ボールから遠く立って、手元の位置もボール寄りにありました。この場合、通常ならスウィング軌道はフラットになりますが、手でクラブを振り上げていたためトップが高くなっていました。そこから小手先でアジャストしてインパクトしていたので、手首をコネる動きが入り、負傷する原因になったと思います。今はボールの近くに立ち、さらにクラブと体が同調するように振り上げるので、以前よりトップが少し低くなりました。さらに、体の回転で振り下ろしインパクトイメージがゾーンになったことでボールを強く押し込める。飛距離はもちろんですが、なんといっても方向性が良くなりました」
【2006年】
手元でクラブを上げ小手先で調整して打っていた
【2022年】
手と体が同調した捻転の深いスウィングに
Point
下半身は左右ではなく下方向へ
以前はダウンスウィングで左ひざを目標方向へ動かすイメージで振っていた
週刊ゴルフダイジェスト2022年4月19日号より