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【通勤GD】迷ったとき、ユハラに帰れ!Vol.2 スウィングは、〇か✖よりもグラデーション ゴルフダイジェストWEB

7歳でゴルフを始めて、陳清波やベン・ホーガンのスウィングに憧れたと少年時代の湯原信光。体が大きくなりだした中学時代、ホーガンを手本にグリップ改造に取りかかった。そして高校時代、不世
出のアマチュア名手、中部銀次郎に出会う。湯原のゴルフに大きな影響を与えた中部の教えとは、いったいどんなものだったのか。今週の通勤GDは「迷ったとき、ユハラに帰れ」の第2回です。

【通勤GD】
通勤GDとは‟通勤ゴルフダイジェスト”の略。世のサラリーマンゴルファーをシングルに導くために、月曜日から金曜日(土曜日)までの夕方に配信する上達企画。帰りの電車内で、もしくは翌朝の通勤中、スコアアップのヒントを見つけてください。

【湯原信光プロ】
ツアー7勝、シニアツアー1勝の日本を代表するショットメーカー。とくにアイアンショットの切れ味は、右に出るものはないと言われた。現在は東京国際大学ゴルフ部の監督も務め、後進の指導にも力を注いでいる

GD ベン・ホーガンをモデルとして、インターロッキングのフックグリップからオーバーラッピングのスクエアなグリップヘ、中学3年の終わりごろから取り組み始めたそうですが、すぐに馴染めたのですか?*

湯原 高校1年の終わりごろには、普通に打てるようになりましたけど、最初は球もつかまらないし、ボール操れないし、飛ばない、という状態になりました。今でも、私のグリップはオーバーラッピングですが、少しだけインターロッキングの名残があるんです。右手の小指が左手の人差し指を包み込むのではなくて、人差し指と中指の間に挟まるように納まっているんです。私にとって、これが一番しっくりするポジションになっているのは、やはりインターロッキングの感覚が抜けないからだと思っています。

GD 目の前のスコアを優先すれば、グリップ改造などしなくてもいいとは考えなかったのですか?

湯原 ベン・ホーガンがやっているんですから、迷いはなかったですよ。それと、中学3年の終わりごろから武蔵境の練習場にいた前島禎プロに習い始めて、スウィング全体の改造にも取り組んでいたんです。前島プロはオーソドックスなスウィングをする人で、僕がゴルフを始めるきっかけを作ってくれた石井茂さんの弟子でした。グリップも含めて大人のスウィングヘ変えていくのは、前島プロと相談しながら取り組みました。最初に指摘されたのは、グリップもありましたけど、腰を左ヘスライドさせないように、ということでした。

通常のオーバーラッピングは左手の人差し指を右の小指が包み込むような握りになるが、インターロッキングの名残がある湯原は右の小指と薬指で左の人差し指を挟む形になる

ゴルフも生活も自分のスタンダードがほしい

GD ダウンスウィングのきっかけを左腰のスライドで作っていたということですか?

湯原 そうです。左腰をスライドさせておいて、ガーンと腰をまわすので、弓なりになるスウィングだったんです。だからフニャーっとしたフォームになってしまう。腰にベルトを巻いて、そこにロープを通して、後ろ(体の右サイド)の柱にくくりつけて練習していました。腰が左ヘスライドしないようにね。ロープには、ある程度余裕を持たせて多少は左へ動けるようにしていましたけどね。その余裕の範囲で1回ギュッと腰を入れてからブンとターンするんです。

湯原 グリップをオーバーラッピングのスクェアに直すのと、腰のスライドを小さくしてターンするのと、同時進行でやっていたんです。

GD そのスウィング改造は、どれぐらい時間を掛けたんですか?

湯原 1年半ぐらいです。勉強もゴルフも両立させろという家庭だったので、朝から晩まで練習というわけにはいきませんからね。高校1年の日本ジュニアではまだ駄目で違和感がありました。

GD だから高校1年の日本ジュニアでは目立った成績が出せなかったんですね。

湯原 目指していたのはベン・ホーガンですから、ジュニア選手権の成績なんかどうでもよかったという感じでした。しかし、フックボールが出ないと確信できるようになると、バーンと強く打てるようになって、飛距離も出るようになりました。

GD それで高校2年の日本ジュニア(74年)で優勝したんですね。湯原プロは中部銀次郎さんの影響を色濃く受けたと聞きます。出会いはいっごろだったのですか。

湯原 もちろん日本を代表するトップアマでしたから、中部さんの存在は中学生のころから知っていました。お会いしたのは、高校3年のときでしたね。ナショナルチームの手伝いをするようにと呼ばれて行ったら、そこに中部さんがいらしたんです。親しく話をするようになって、「ちよっとゴルフを見てください」とお願いすると、「じゃあ何時にグリーンボックスに集合」ってなるわけです。

湯原 グリーンボックスというのは、芝ゴルフ練習場にあった時間貸しの打席です。ちょっと試している打ち方をして、「中部さん、どうですか」と聞くと、ああいうタイプの人ですから、具体的に切り返しがどうだとか、軌道がどうだとかは言わないんです。ただ一言、「それ、変」とぽつりと言うんです。「じゃあ、これは」と違う打ち方すると、今度は「それ、気持ち悪い」と。

湯原 「それじゃあ、これは」と打つと「それ、いいんじゃない」という答えが返ってくることもありましたね。「それ、変」とか「気持ち悪い」とか「いいんじゃない」というのを言葉にすれば、ぶっきらぽうで素っ気ないように聞こえるかもしれませんが、その場で聞いている私には、もの凄く細かなニュアンスが含まれているのが感じられるんですよ。「おかしい」と「変」は同じではなく、微妙な違いがあるんです。

中部銀次郎さんの伝説の名勝負はこちら↓

中部銀次郎の一言を自分なりに考えた

GD ただ教えるだけではなくて、自分で考える力をつけるように仕向けていたということですかね。

湯原 そういう要素もあったでしょうが、「駄目」とか「いい」とか二者択一のように区分するのではなく、スウィングには、微妙なグラデーションのような部分があるので、そのニュアンスを伝えてくれていたんだと思います。スウィングって、ある意味、とてもパーソナルですよね。体格や骨格、筋力など体力はもちろんのこと、考え方でも違いが出てきます。

湯原 それで、持ち球がフェードになったり、ドローになったりします。もっと言えば、クラブの進化とか、時代によっても違います。何が正しくて、何が間違っているかと簡単に言うことはできません。

湯原 そういうなかで、自分にとってのベストを探す作業がスウィング作りなんだと中部さんは言いたかったんだと思います。そのニュアンスをくみ取っていくうちに、「それ、いいんじゃない」とか、「それ恰好いいよ」とか、「それ、気持ちいいね」というふうになってくるんです。

GD そういう褒め言葉をもらったときのスウィングは、やはり自分でも納得いくものだったのですか?

湯原 中部さんが「気持ちいいね」と言ってくれたスウィングは、やっぱり私も気持ちよく振れていて、「ぁぁ、これで合ってるんだ」と思いましたね。

GD「自分で感じ取りなさい」と言いたかったわけですね。

湯原 そうです。私が最初にお手本にした、陳清波さんも、ベン・ホーガンも、そして中部さんも、きわめてオーソドックスなスウィングの方たちです。でも、決して同じスウィングではないんです。中部さんは、「君自身のスタンダードを探しなさい」と言いたかったのだと思います。

中部は、日常生活からゴルフまで一貫した基準を持っていた。「自分の基準を持つことの大切さを知った」と湯原

GD 自分自身のスタンダードを探す、ですか?

湯原 ゴルフって、例えばボールのライにしても、気象条件にしても、毎ショット違いますよね。私は50年近くゴルフをやっていますけど、同じライに出合うことなんか1回もありませんでした。芝もライも気象条件もいつも変化しています。その変化にどう対応するかが勝負なんです。そのためには、自分自身の基準を持っていなければ、対応のしようがないんです。

湯原 これは、ゴルフばかりではなくて、日常生活とか仕事の場面とかでも、あることですよね。そういう意味では、中部さんは、生活からゴルフまで一貰したもの、基準を持っていました。いつでも変化に対応できる準備をしていたんだと思います。

GD 日常生活からゴルフまで貰くものですか…。次回はその話を聞かせてください。

2013年週刊GDより