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【ゴルフせんとや生まれけむ】岩隈久志<前編>「もうドライバーはいらない! 最初は右にしか飛ばないゴルフでした」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、 元プロ野球選手の岩隈久志

ゴルフを始めたのはプロ野球に入った1年目のオフですから2000年です。シーズンが終わったら全員参加の納会ゴルフがあるということで、夏場以降になると休みの日に先輩たちが打ちっ放しやショートコースに連れて行ってくれました。僕は入団3年目まで寮生活だったので、寮の先輩たちにゴルフの手ほどきを受けました。でも、打ち方は教えてくれませんから、最初は右にしか飛びません(笑)。「150ヤード以上は何で打っても距離が同じだな」「どうすれば真っすぐ飛ぶんだろう」と思っていました。ゴルフクラブをどうやって手に入れたかはっきり覚えていませんが、たぶん中古ショップでまとめて買った気がします。

初ラウンドが納会ゴルフで、スコアは確か128でした。練習と同様にコースでも右にしか飛びませんでしたが、面白かったですね。最初はみんな同じくらいのレベルですし、ルールやマナーを教えてもらいながら、下手でもまずは走って、ボールまで行って、打って、また走って、ワイワイガヤガヤとにぎやかに回るのが楽しかったです。2年目以降はシーズンが終わると12月から1月の2カ月間で10回くらいラウンドしていたと思います。最初のうちは「100がなかなか切れないな」という時期がありました。3年目くらいに初めて100が切れたのですが、その後も90台が出たと思ったら、また100台に戻る。その繰り返しでした(笑)。

若手同士で回ることが多かったですが、そのなかにベテランの先輩ですごく上手な人が入ることもありました。近鉄時代は中村ノリさん(中村紀洋)がめちゃめちゃ上手でしたね。構えがすごく低くて、横振りのスウィングで「パシーン!」と真っすぐに飛ばしていく印象がありました。

僕はドライバーがとにかく右に曲がるタイプでした。OBを連発することが多くて、3番ウッドでティーショットを打ったほうがマシなんじゃないかという感じのゴルフ。毎年冬になると「やっとゴルフができる!」と、ゴルフ雑誌を見たりゴルフショップに行ったりしましたね。すると新しいドライバーが何本も出ていて、毎年「これだ!」と、新しいのを買うんですが、結局変わらなくて「もうドライバーいらないな」と思っていました(笑)。

04年オフに楽天に移籍してからも、野球界の人はみんなで楽しく豪快にゴルフをするというイメージは変わりませんでした。ただ、いくつか違いがありました。関西にいたころは朝一番にスタートしてワンハーフやるのが当たり前でしたが、東北に来てからはワンハーフをやらなくなり、1ラウンドで帰るようになりました。まず、仙台のほうが日没が早いことと、11月後半の時点でものすごく寒いので。12月に入るとグリーンがカチコチに凍ってボールが「カーン」と弾みます。だから手前に落として、そこから寄せるゴルフを覚えました(笑)。それはそれで楽しかったですね。でも、日本にいた20代のころは、たまに80台が出ても85は切れず、87~88から95くらいの間を行ったり来たりのさまよえるゴルファーでした。

後編へつづく

岩隈久志

1981年、東京都生まれ。99年ドラフト5位で近鉄に入団。01年から1軍で活躍。04年オフに金銭トレードで楽天に移籍。11年オフに海外FA権を行使してシアトルマリナーズに移籍。NPB107勝、MLB63勝、日米通算170勝。ベストスコア74

週刊ゴルフダイジェスト2023年1月3日号より