【ゴルフせんとや生まれけむ】アントキの猪木<前編>「初ラウンドは“123”。空き地での球打ち経験が生きました」
ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回からの語り手は、お笑い芸人のアントキの猪木氏。
仕事先の方やモノマネ芸人仲間とゴルフ談議に花を咲かせると、ベストスコアや初ラウンドのスコアの話題が必ずといっていいほど出るじゃないですか。僕もいろいろな人に何十回も聞かれましたね。
僕が初めてコースに出たのは芸能界に入る前、茨城県千代田町の町役場に勤めていた23歳の時でした。地元の企業の社長さんに誘われて回ったんですよ。スコアは「123」でした。それをみんなに話すと「話を作っているでしょう」と疑われてしまうんですが、いやいや正真正銘、紛れもなく1・2・3だったんですよ。まさか将来、自分が芸人になってそれが持ちネタになるとは夢にも思わず、その時ももちろん同伴者に向かって「今日のスコアは1・2・3 ダァーッ! でした」ってやったことを今でもしっかり覚えています。
自分でいうのも何ですが、初ラウンドのスコアが123というのは割といいほうですよね。普通は150とか160とかで、途中で数えるのをやめてしまったという人もいるくらいですもんね。僕が初めてでこんなスコアが出せたのは、おそらく子どもの頃の下地があったからだと思うんですよ。といっても、何もゴルフをちゃんと習っていたというわけではないんです。
僕が生まれ育ったのは茨城のド田舎(笑)。それこそ空き地は腐るほどあったから、そこに近所のゴルフ好きのおじさんたちが協力して雑草を刈ってグリーンとティーグラウンドらしきものがある自前のホールを作って練習していたんですよ。距離は100ヤードくらいあったのかな。
僕は小学校の3年生くらいでしたけど、まだテレビゲームもない時代でほかに遊ぶものがなかったので、学校から帰ってくるとオヤジの7番アイアンを持ち出して毎日のようにそこで見よう見まねでボールを打っていました。誰かに教わったということはなかったけど、こういうふうに打てばこんな球が出るとか、このぐらいの力で打つとこのくらい飛ぶとか子どもながらにだんだんわかってくるじゃないですか。中学生になると部活が始まって僕は野球にのめり込んでしまい、ゴルフからは遠ざかってしまいましたが、たぶん、その時の感覚が体のどこかに染みついていたんじゃないですかね。
というわけで、23歳から本格的に始めたゴルフですが、その頃はプレーフィーがまだ高くて平日でも2~3万していましたから、確かにゴルフは楽しかったものの安月給の僕にはなかなか行けませんでした。
月に2回3回と行けるようになったのは芸能界に入って、あちこちのコンペからお誘いを受けるようになってからですね。コンペに出てそこで誰かと知り合って仲良くなると、今度はその人から誘われてという感じで人脈がどんどん広がり、それが仕事にもつながっていきました。何年間かカシオワールドオープンの応援団長をやらせてもらったのもそうですし、その時は大会前のPRということで横田真一さん、宮里聖志さんとトークショーをやったりしましたね。今日まで芸能界で生き延びてこられたのはゴルフのおかげ。ホントに感謝しています。
アントキの猪木
73年茨城県生まれ。町役場勤務を経てアントニオ猪木のモノマネで芸能界デビュー。モノマネのほか、1人コント、替え歌などの持ちネタで活躍中。かつて50m走で5秒9を記録したという高い身体能力が自慢。ベストスコア83
週刊ゴルフダイジェスト2022年9月13日号より