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【ゴルフせんとや生まれけむ】室伏重信<前編>度重なる故障も…「ゴルフをやめようと思ったことは一度もありません」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、元ハンマー投げ日本代表の室伏重信氏。

アジア大会のハンマー投げで5連覇を達成した後、現役を引退しました。41歳でしたね。当時は愛知県豊田市の中京大学に勤めていたのですが、授業や会議で毎日忙しくしていましたし、ちょうど息子(アテネ五輪金メダリストの室伏広治氏。現スポーツ庁長官)がハンマーを始めた時期だったこともあり、その指導にかかりっきりで、ゴルフのゴの字とも縁がありませんでした。大学の近くには、さなげCCや三好CCなどたくさんのゴルフ場がありましたが、近くを通ってもこの森に囲まれた施設はいったい何なのだろう? と思っていたほどでした(笑)。


そんな私がゴルフを始めたのは46歳のときでした。同僚の先生に勧められて打ちっ放しに行ったのです。現役時代にハンマー用のシューズなどでミズノにお世話になっていた関係で、以前クラブをいただいていました。もちろんパーシモンです。それを持って練習場に行きました。どうやって打ったらいいのか何の知識もありませんから、同僚の先生にクラブの握り方から教えてもらったのですが、そこでまず違和感を覚えました。というのは、ハンマーは左手の上に右手を重ねるようにして握りますが、ゴルフの場合は左手が下で右手をその上にして握るからです。最初は何となく気持ちが悪かった(笑)。それでも、見よう見まねで取りあえず打ってみたらこれが面白い。「ハンマーよりもはるかに飛ぶなあ」とビックリしたことを今でもはっきりと覚えています。練習場のネットは240ヤードほど先にありましたが、真っすぐ行けばネットの中段くらいに当たっていましたから260ヤードは飛んでいたかもしれません。これには一緒にいた先生も驚いていましたね。おそらく40代でまだ体力があったし、ハンマーで体幹を鍛えていたからでしょうけど、実は私自身も驚いていたんです(笑)。

初めてコースに出たのは3カ月後、三好CCでした。たしか130か140くらい叩いたような気がしますが、そこから一気にハマって3カ月後には100を切り、すぐに80台で回れるようになりました。ベストスコアの76が出たのもこの頃です。76は8回か9回出しているのですが、たかが1打なのにどう頑張ってみてもそこから先には進めないのですよ。前半から調子が良くて今日はいけるかもしれないと思っても、私はバンカーやパットが苦手でそのどちらかで大叩きをしてしまうんです。達成できそうでなかなかできないのがゴルフの難しさであり、楽しさかもしれませんね。

そんな感じで私のゴルフライフにとって黄金期ともいえる40代だったのですが、そのうち五十肩になって腕が上がらなくなったり、巨大なヘルニアができたり、さらには脊柱管狭窄症になったりと次々に故障が起きてしまったんです。そうなると、どうしても半年とか1年とかゴルフを休まなくてはならないことになりますから、そのたびにスコアがどんどん悪くなってしまって。今では100を切るのがやっとといった感じです。でも、やめようと思ったことは一度もないですね。だって楽しいじゃないですか(笑)。

室伏重信

むろふししげのぶ。1945年、静岡市沼津市出身。高校時代からハンマー投げを始め、日本代表としてオリンピックに4回出場。アジア大会5連覇を成し遂げ「アジアの鉄人」の異名をとる。引退後は指導者に。ベストスコア76

週刊ゴルフダイジェスト2022年5月3日号より