【ゴルフ野性塾】Vol.1730「ターフ跡は人、それぞれ」
古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。
雨が降る。山は消えた。
1キロ先のビルも雨霧の中に消えた。
空は同一色。
地上から空のテッペン迄、同じ色の4月14日、午前11時57分。
ポール・モーリアを聞きながら本稿書き始めました。
すぐに音は消えた。
時折、音が聞えるが、それもすぐに聞えなくなる。
質問の答えを書いてリード文と呼ぶこの文章を書くが、音が連続して聞えるのは質問稿を書き上げた後である。
そして又、音は消えて行く。
ビルの消え行く時が早い。
霧雨が本降りになったのか。
このままだと舞鶴公園と大濠公園への散策は無理だ。
階段上りでもするかと思うが、滑るのはイヤである。私は階段下りはやらない。上るだけだ。
一時期90キロあった体重は83キロに落ちた。食事で落ちた7キロと思う。量が減った。
体調はいいです。ただ、少しの腰痛あるばかりだ。
読者諸兄の日々の平和を祈る。
あと少し、あと少しと思いて過す日々、何日になるのか。
ポール・モーリアのマイ・ウェイが耳に飛び込んで来た。
今週稿の執筆終了。
ターフの向きは変えるな。自然に変る。
アイアンを打った後、後ろからターフを見ると、20度くらい左を向いています。自分ではピンに真っすぐ振っているつもりですが、いつもこの向きです。どうすればこの感覚のズレを修正できますか。そもそもターフはピン方向に向いているのが正しいのでしょうか。20度も左に向いているのは直すべきですか。(愛知県・川崎翔平・35歳・ゴルフ歴12年・平均スコア93)
自分のヘッド軌道を知るは大事な事と思う。
スウィングがヘッド軌道を作り、そのヘッド軌道とスピードが飛距離と方向を生むのがゴルフスウィングであると考える。
スウィングの是非ではなく、ヘッド軌道の是非を考えるべきである。
人、それぞれのヘッド軌道であり、その軌道がスコアを生んで行く。
ゴルフは球を飛ばし、転がして行くゲームである。
ボールがなかったらゴルフは出来ない。クラブヘッドがなかったら球は打てない。
それがゴルフだ。
そして、ボールとクラブヘッドがヘッド軌道を生み、ターフ跡を作る。
私は24歳でプロを目指してゴルフを始めた晩学の者なれど、最初は自分のターフ跡に興味は持たなかった。
結果が総てだった。
狙った処に飛んで行けば総てOKとなる初心のゴルフだった。
ゴルフ始めて10カ月目、プロテスト予選会である栃木県アシスタントプロ研修会に出させて貰った。
日光CCの練習場、280ヤード先の林の中に一軒の廃屋があった。
練習ラウンドの日、私のドライバーショットはその廃屋の屋根に当ったらしい。廃屋があるなんて知らなかった。
林の中に消えて行く球を見ていただけである。
ドライバー使用制限のない時代であり、キャリ250ヤードヤード飛ばす人の少なかった時代であった。
練習場のお爺さんが驚いた。
「今迄、プロの月例やアシスタントプロの研修会で多くのプロと研修生を見て来たが、屋根迄届かせたのはアンタが最初だ」と言ってくれた。
その日の内に有名になった。
研修会当日、お爺さんは練習ボール24個入ったプラスチックケースを私の打席に持って来てくれた。
「硬い球ばかりだ。これで打ってみな」
礼を言った後、打った。
曲らなかった。
「うん。その方向だ。ここからは林に隠れて見えないが人の住んでない家がある。打ってくれ」
私は打った。人様の命令と願いには従順だった。
「当った。これで3発の当りだ」
当時、硬いボール、軟らかいボールを選択して使う余裕はなかった。鹿沼北コース1番、左のOBの中から拾って来た傷なしの球をラウンドボールとして使っていただけである。
私のドライバーショットは24球全部、林の中に飛び込んで行った。
私の1番ホール、練習場のお爺さんもいた。
研修生を抱えるゴルフ場支配人、プロ、合せれば20人以上の人が集う1番ティーだったと記憶する。
正直に申す。
スタート10分前、勃起した。
勝手に股間が膨らんだ。
私は右折れであり、右のポケットに右手を入れて抑え込んだ。
そして、ティーグラウンドに立った。
ポケットに手を突っ込んで支配人会の方達の前に立つ研修生、不遜と思われて当然だったが勃起を知られたくなかった。
鹿沼の支配人は怒っていた。
無言の怒りだった。
左手でスコアカードを受け取った。
結果を申せば、勃起は収まりはせず、完立ちのままティーショットした。
チョロった。
1番ホール、ダボ。2番も3番もダボ。18ホール終ってみれば88だった。
午後は76。ラウンド合計164が私の初陣スコアだった。
鹿沼に帰った翌日、1週間の練習禁止を命じられた。
翌月の小山GCの研修会、パープレーで回った。
一緒に回った研修生の人が言った。
「よくそんなに外から入れてフック球打てるもんだな。ドライバーからサンドウェッジ迄、全部フック球だろう」\と。
私はゴルフ始めて最初の3カ月はドスライス打ちだった。
\次の3カ月はドフック。
そして次の3カ月はスライス、その後、フックと3カ月毎に出る球の球筋は変っていた。
修正しなかった。
右へ飛んで行くのであれば、その右飛びの球でスコア作る手段を考えただけである。
今、想う。
私はズーッと外から入って来るヘッド軌道で球を叩いて来たのでは、と。
プロテストに通り、少しの知識も得、ヘッド軌道をスクエアにしようとした。
球が曲り出した。それでターフ跡の修正を止めた。
こりゃいい、こりゃ悪いの直観力は持っていた。
ただ、パターだけは判断、決断、行動の3つのバランスは悪かった。
プロのゴルフに於て一番大切なのはパットと思うが、私はショットだけのプロだった。
14本のクラブの中、一番短いクラブで一番多いストロークしていた。
貴兄はターフ跡を考えるべきではないと思う。
貴兄のターフ跡である。
それで打ち行くが最善。
そして、いつの日にか、ターフ跡の方向は変ると思う。
いつ迄も同じ方向ではない。
スウィングのバランスが生むヘッド軌道とターフ跡だ。
ターフ跡だけを変えようとすれば崩れるものが出て来る。
己のものを失くしてはいけないのです。
勧めません。
今のままで行くが最善。
人、それぞれ、自分は自分、他の人は他の人、である。
変えに行っての得よりは失うものの方が多いのがターフ跡の方向修正であろう。
マスターズと全英のパー3のティーで確認したが、ピンに真っ直ぐ向って行くターフ跡は3割なかった。その3割も微妙に違っていた。
青木功さんのターフ跡はインから入っており、中嶋常幸もインから入っていた。
尾崎将司さんのターフ跡は外から入っていた。
いつも双眼鏡を持って歩いていたのでその場での確認は出来た。ジャック・ニクラスも外から入っていた。バレステロスは高いティーで打っていたのでターフ跡は出ていなかった。
意外や、リー・トレビノはインから入れていた。
以上です。
坂田信弘
昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格
週刊ゴルフダイジェスト2021年5月25日号より