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【ゴルフせんとや生まれけむ】松崎しげる<前編>「初ラウンドは92! ゴルフを勧めてくれたオヤジに感謝」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、歌手の松崎しげる氏。

うちのオヤジが大のゴルフ好きで、息子の僕から見ても惚れ惚れするようなダンディなゴルファーだったんですよ。腕前もHC3までいったくらいだから、なかなかのものでしょ。そんなオヤジに勧められてボクがゴルフを始めたのは高校に入ってしばらく経った頃。その頃、ゴルフは“金持ちの道楽”とかいわれて今よりずっとハードルの高いスポーツだったから、15、6歳というそんなに若い時から始める人はほとんどいませんでした。僕が人よりも早くゴルフの楽しさに触れることができたということではオヤジに感謝です。

ただ、僕は中学からずっと野球に本格的に打ち込んでいたので「止まっている球を打つなんて簡単だろう」って野球をやっていた人間なら誰しもが考えることを、最初は当然のように思っていました(笑)。ゴルフをナメていたんだよね。

ところがさ、思うようにいかないのよ、これが(笑)。打ち方をいろいろと変えてみても真っすぐ飛ばない。野球には自信があったから、こんなはずじゃないのにと本気で悩んだね。

僕はもともとサウスポーで、野球も左投げ左打ちでプレーしていたんだけど、ゴルフはオヤジのお古のクラブをもらって始めたから、最初は右打ちだったんです。だから「真っすぐ飛ばないのは右打ちだからに違いない」って自分で勝手に決めつけて(笑)、オヤジに左用のクラブをねだってね(笑)。でも、50年以上も昔の、まだパーシモン全盛の時代の話だから今みたいに左用のクラブはそんなになかったんじゃないかと思います。

なのに、ある日、オヤジが「おい、あったぞ!」と言って渡してくれたのがマグレガーの左用。その頃マグレガーといえば名器として知られ、絶大な人気を誇っていたクラブでした。どこをどうやって探してきてくれたのかはわからないけど、よく見つけてくれたなと思います。

僕は大喜びでそのお宝みたいな左用のクラブで早速打ってみたんです。でも、やっぱり思うようにいかない(笑)。それがどうにも悔しくて、ヒマさえあれば一人で練習に行くようになったのが高校2、3年生の頃かな。今考えてみると、我流ではあったけど自分でも感心するくらいよく練習したなあ。ボクが芸能界でも
“そこそこのゴルフ上手”といわれるようになったのも、この時の練習が役に立っているのかもしれないなあ。

初ラウンドは芸能界入りした後の19歳の時。ボクのことを可愛がってくれた先輩の俳優・柴俊夫さんが連れていってくれました。場所は大箱根CC。その日は朝から土砂降りの大雨で、初ラウンドとしては最悪のコンディションだったね。でも、そんななか、何も考えずに無心でやっていたら92という初ラウンドとは思えないスコアが出ちゃった。芸能界でも腕自慢で知られる柴さんも「お前、上手いじゃないかよ。いきなり92なんて、こんな奴初めて見た」と驚いていたけど、誰よりも自分が一番ビックリしていたんですよ。そのとき「ちょっと練習すればすぐに芸能界一になれるよ」と柴さんに褒められて、すっかりその気になって(笑)。ここからゴルフにハマっていくんですよ。

>>松崎しげる<中編>バンカーが好きなのは
伝説の名手に教わったおかげ


松崎しげる

1949年、東京都江戸川区生まれ。歌手として「愛のメモリー」、俳優としても「噂の刑事トミーとマツ」などヒット作多数。こんがり肌がトレードマーク。ベストスコア71

週刊ゴルフダイジェスト2021年11月9日号より