【ノンフィクション】ゴルフコメンテーター佐渡充高「リスペクト精神」
渋谷のNHKのスタジオに、今週も佐渡充高の姿はあった。20-21シーズンのPGAツアー最終戦「ツアー選手権」を解説するためだ。30年前――同大会で、佐渡の解説者人生は始まった。ゴルフとアメリカに関わり続ける、仕事と人生について聞いた。
PHOTO/Tsukasa Kobayashi
「より簡潔にわかりやすく
伝えるため準備する」
ツアー選手権最終日は、P・カントレーとJ・ラームの一騎打ち。放送開始後すぐ、それを佐渡は「パティアイス対ランボー、アトランタの決闘」と伝えた。
「キャッチコピー的に話をするとわかりやすく簡潔になるでしょう。時間内に要点をまとめて正しい言葉で言うことを心がけています。その時の勘や印象も大事ですが、今週の見どころ、選手の見どころ、この選手とあの選手が戦う上での見どころなど伝えるべきことを、前もってきちんと調べて、まとめていかないといけません」
手元には、細かい文字がびっちりと書かれたノートがある。
「僕らは視聴者が観ている映像のなかで話を完結させます。できるだけコンパクトにするためノートにキーワードを書く。100あれば10~20しか使いませんが無駄にはならない。次に生かせます」
早朝の放送、体調を整え、ノートを準備する。「この場面がきたらこういう話をしようと考え準備する。書くのはキーワードだけ。メモして覚え、まとめて覚え、それをもう一度口に出して反復します」
2時間の放送ならば少なくとも10時間は準備に費やす。週末は寝る時間がないこともある。
「ネットの情報は誰でも見られる。『そんなの知っている』と、思われたらおしまいです。そういった言葉は使わないように、オリジナリティを大切にしています」
長年蓄積された経験や、人から聞いたり調べたことで自分の引き出しを増やし続け、常に出し入れして準備していく。
「ある程度のゴルフの腕は必要ですよね。スウィングや構えを見れば選手の状態がわかるくらいの目が。観る方が楽しめるように、そして1日1つは、『なるほど』とか『得したな』と思ってもらえることがあるように伝えたい。でも何度やっても上手くならない。毎回反省ばかりです(笑)」
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ゴルフは16歳で始めた。野球に打ち込んでいたが、ひじを痛めて父にゴルフを勧められ、やってみたら、すぐにハマった。
「ボールには当たったけど思ったようにいかないところが悔しくて。でもたまに上手くいくから、また頑張る。そうやっていくうちにどんどん楽しくなりました」
上智大学ではゴルフ部に入部。得意なのはアイアンショットとショートゲーム。
「4年の時にはプロになりたい気持ちはありましたが、腰を悪くしてパッティングイップスにもなったんです」
しかしこの時代に、運命的な出会いがある。「太平洋C軽井沢Cでの夏合宿で、キャディのアルバイトをする代わりにプレーさせてもらっていた。そこの責任者の方が太平洋マスターズのディレクターで。『君たち英語ができるだろう』と、外国選手のキャディとして、7、8人駆り出されました」
佐渡自身は1、2年の時にギル・モーガン(眼科医資格を持つ。米ツアー7勝、米シニア25勝)、3、4年の時、あのトム・ワトソンのキャディを務めた。
「2人の素晴らしい人柄に感激しました。彼らから見たら東洋の小さな国のただの学生なのに、最初は握手をしてお互い名乗り合い『よろしく頼む』と言う。ジェントルマンでインテリジェンスを感じます。あれだけすごいプレーをして熱意がほとばしるガッツポーズを見せるのに、普段接するときはやさしい。この人のためだったら尽くし切ろうという気持ちになった。そして、こんな人物になれたらいいなと思い始めたんです」
ワトソンは、PGAツアーに興味深々の大学生に、渡米費用の小切手も渡してくれたという。
「夢のような話ですよね。僕は運もいいんでしょうね」
佐渡は中学生の頃に「ビッグイベントゴルフ」という深夜番組でPGAを観るのが好きだった。
「ゴルフ場のきらびやかな感じや美しさ。選手たちの躍動感やギャラリーの声援、すべてが素晴らしくて。あの頃から、アメリカのゴルフを見てみたい、プレーしてみたいと思っていたかもしれません」
「出会った人に、何か接点を
持てるかどうかが大事です」
曽祖父は米国初の日本語新聞発行に携わり、祖父は新聞記者、父は出版社の編集者。米国在住の親族も多く、アメリカへの興味は必然だったのだ。
日本でゴルフ記者として仕事をした後、1985年に渡米、フリーでPGAの取材を開始した。
「若気のいたりです。何とかなるという感じでした。でも、まずはとくに経済的な面が大変でした」
家の手配も自分で行う。銀行口座をつくるだけでも時間がかかる。この生活のなかで英語は覚えた。
「外国人、しかも東洋人であることが不利益なこともあったり、心ない言葉をかけられたり。でも、あまり気にしませんでしたし、守ってくれる人もいました」
エピソードにはこと欠かない。
モーテルのバーで、後に米ツアー10勝、米シニア6勝と活躍する南アのデビッド・フロストに相部屋を持ちかけられたこともある。海外からの挑戦組も経済的な苦労は多かったのだ。また、メディアセンターにはファクスもない時代だ。
「メディア担当長だったトム・プレイスは日本人記者にも隔てなく接してくれた。いつもパリッとした方で長々と話をしない。僕も人と話をするときは要点を先に話し、無駄話はしないよう心がけています。『無名の選手はいない。知ろうとしていないだけ』など指針となる言葉をいくつも授かりました」
29歳の誕生日を前にした時、一大決心、もう一度プレーヤーとしてツアーに挑戦することにした。仕事を休み、猛練習、プロ転向しカナダのQスクールやPGA下部ツアーのマンデーに行ったりしたが結果は出なかった。「ケガも再発し、あきらめもつきました」
そうしてNHKの解説者としての声がかかるが、これもまた偶然だと話す。
「知らない方から電話があったんです。推薦してくれた方がいたようで、僕みたいなどこの馬の骨かわからない人物によく声をかけてくれました。書く仕事から幅が広がった感じ。1つずつきちんと仕事をしていけば、いろんな分野に広がっていきます」
アマチュアに戻った佐渡は各地のゴルフ場巡りも始めた。夏季のオフにはイングランドやスコットランドを中心に欧州へ。基本は1人で、1日3コースをプレーしたことも。南米、豪州、米国内、総数1000コースを突破した。「興味もあったし、仕事の責務です。素晴らしいゴルフ場をこの目で見ないと解説はできません。なかでもロイヤル・ドーノック(スコットランド)は印象に残っています。ほとんど手を入れていない自然のまま。とにかく迫力があります」
「皆、爽やかでジェントルマンで
相手へのリスペクトがある」
いつも佐渡の根底にあるのは「ゴルフ」だ。ゴルフを通じて、人とも仕事ともつながっていく。多くの人との出会いと交流が今の佐渡のなかに詰まっている。
ベン・ホーガン、ジーン・サラゼン、バイロン・ネルソンら歴史上の人物ともいえる面々、グレッグ・ノーマン、ジャスティン・レナード、タイガーの父、アール氏まで。皆、コースを離れた素顔も魅力的だった。
「選手はスピーチで必ず『THANK YOU』と口にする。自分の努力だけでは活躍はないと理解しているからです。PGAはTHANK YOUの連鎖で成り立っている。世界最高峰の戦いの舞台というだけでなく、ライバルは最高の友であり、それぞれのハートに触れ、自分もそうありたいと願い、皆で高め合っているんです」
2001年、「9・11」が起き、その後NHKの放送体制が国内にシフトして、02年の4月に帰国。
「アメリカに残る気持ちはなかった。この仕事を、最後まで責任を持ってやりたいと思ったんです」
佐渡の好きな言葉は、「朗らかに勝ち、爽やかに負けろ」
「日本にゴルフを広めた赤星六郎の言葉です。スポーツマンシップについては、これに尽きると思う。生き方そのものでしょう」
佐渡が見てきたPGAツアーの選手の多くには、勝敗に関わらず相手に対するリスペクトが基本にあるという。「ゴルフだけではなく、普段の社会での人との付き合いでも同じです。僕も人に対してリスペクトを持ち行動します。それがなければ失礼でしょう」
これは、佐渡の解説の根底にもある。「もちろん、態度が悪かったり、不適切な言葉使いはダメ。タイガーがクラブを投げたりした時は、止めたほうがいいと言った記憶があります」
「選手と直接触れ合って交流して、より興味が深まっていく。いつもスポーツマンは、爽やかでジェントルマンである必要があると痛感します」(左)ラームのデビュー直後の17年に。「ゴルフから離れると純で紳士でした」。(右上)米ツアー1勝の今田竜二とも交流は深い。(右下)13年、ジョニー・ミラーとツーショット。「彼がNBCの解説で、僕がNHKの解説で、いつも会うから記念写真でも撮影しようと」
「力尽きるまで
PGAツアーの魅力を伝えたい」
PGAツアーと選手をリスペクトして止まない佐渡だが、コロナ禍、その力を改めて知ったという。
「組織力や財力は理解していましたが、こんな世になり、命に代えても試合と選手を守るという責任感を感じます。たとえば日本では、部活もそうですが、何か起きる可能性があるから“やらない”となりがち。でも、問題が起きることを想定し、対処法を考えながら実行していかないと前に進まないと思います」
松山英樹が以前インタビューで、印象に残る解説者として「佐渡充高さんの声が好き。PGAのイメージ。すんなり入ってくる」と答えたことを話すと、「彼が生まれる前からやっていますから。僕らがこの放送を行う意義の1つに、ジュニアに観てもらい、感動を分かち合いながら世界で活躍する選手が生まれてほしいなと。丸山茂樹選手や松山英樹選手の活躍は嬉しいし、本当に遣り甲斐があること。マスターズ優勝という歴史的なことを松山選手が成し遂げた今年は日本のゴルフの転換期。今後また選手が出てくるはずです」
自分の性格を、シャイだが一度決めたらどんどんいく、と分析する佐渡から、若者にアドバイスを。
「これだと思うことがあれば、それに向かって思い切り努力して楽しんだらいいと思います。僕自身、まだまだ半歩でも進歩したいと思っています」
こうなりたい――出会いを引き出せる力とは、自分の心持ち次第で生まれるのだろう。
「皆さんの近くにもいると思います。そういう人に出会った時にそのまま通り過ぎるのではなく、何か接点を持てるかどうかが大事です。チャンスは生かす。たとえば、素敵な人がいたら素敵ですねと伝えるクセをつけるなど、普段からの心がけも大切だと思います」
今後の目標は?
「今の仕事を続けたい。自分の力尽きるまでPGAツアーの魅力を伝えられればいいですね」
ゴルフ、そしてPGAとともに最後まで生きていく覚悟だ。
週刊ゴルフダイジェスト2021年10月5日号より