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【ゴルフ野性塾】Vol.1697 「この夏、元気で過せと願う。」

古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。

暑い日が続く。
暑いとボヤいても

涼しくなる訳ではないが、遂々口に出さなきゃ耐え切れぬ暑さが昨日今日と続いている。
窓の外、大きな入道雲が縦にも横にも連なる8月5日、木曜日。
お盆前の暑き日々である。
この時期が来ると想い出す。
友3人と旅をした。
海近くのホテルに泊り、ゴルフをやり、一夜毎に宿泊地を変える3泊4日の石川県能登の旅。
ゴルフ場は能登CC、朱鷺の台CC。
宿泊先はゴルフ場近くの旅荘。
洋室と和室、そして内風呂の付いた部屋に泊ったが、一人の男のイビキには驚いた。
観賞魚飼育用品を扱うジェックス社の会長の五味健が強烈極まるイビキの持ち主だった。
眠れなかった。
五味健と並びのベッドで眠るのは商社社長の杉本英典だったが、朝、参ったと一言だけ呟いた。
私は襖一枚隔てた和室で眠ったが、一秒たりとも眠れずに一夜を過した。
私の横に眠るはバンコック在の荒井晃。
荒井の髪の毛はボサボサだった。
当時72歳の五味健に気を使ったのだと思う。
荒井晃はタイ・バンコックでプラスチック製造業を興し、成功した男であり、年齢は杉本と同じ66歳だった。
そして私は一睡もせずに車で1時間半走って能登CCに着いた。

利き腕と反対の肩を回せ。

私は朝を待った。
いつ迄も障子の外は暗かった。
布団にくるまる荒井に起きているか、と聞いた。
「起きてるよ。今、何時?」
「3時55分だ」
「少しは眠れたか?」
「少しだけ。だけど凄いな」
「半端じゃない。規則正しいイビキであれば30分でも眠れたと思うが、強くなったり弱くなったり、そして途切れたと思った瞬間、ドカーンと来るから眼は醒めっ放しだ。明日からは別の部屋にして貰うぞ」
「空いてない。旅行社にそう言われた」
「五味健のイビキ、知ってたのか?」
「噂には聞いていたが、ここ迄とは思わなかった」
「でも少しは眠れたんだろう。俺は一睡も出来ていない。そしてこの暑さだ。ゴルフ場の昼間の暑さは37度超えると思うが、18ホールはきつい。9ホールで上っていいか?」
「プロがいればこその旅の面白さだ。付き合ってくれよ」

ズーッと昔、五味健は幾人かの女性と付き合っていた。
一夜を過した女性もいた。
そして一夜で五味健から離れて行った。
耐え切れぬイビキだった。
女房殿は我慢した。
結婚した。
奈良市郊外に家を建てた。
二階建ての家だった。
女房は喜んだ。
女房の眠る部屋は一階、五味健の眠る部屋は二階だった。
女房殿の耐えに耐えた日々が終った。
今、その家には長男家族が住み、五味夫婦は大阪市内のマンションに住むが、眠る部屋は別々なれど、イビキに悩まされる様になった。
女房殿は長き靴ベラを枕元に置いた。イビキが起きると壁を叩き、その瞬間、五味健のイビキは止った。
その事は旅行明けに聞いた。
総てが確認不足、準備不足だった。
女房は4人同室の旅と聞いて心配したが、酒を飲まなきゃ少しは軽くなるイビキだったので大丈夫かも知れないと思ったらしい。
旅行3泊、五味健はビールとワインを飲んだ。
イビキの波も強さも強まった。
朝の食事前、部屋担当の仲居さんに聞いた。仲居さんは笑って答えなかった。
でも私はその笑いを見て確信した。
ホテルの夜の管理人さんは25年勤務の方だったが、25年間でナンバー1の大きなイビキであったと。
私はすぐに眠れるし、眠った後、眼の醒める人間ではないが、眠らせてくれなかったのは五味健ただ一人である。

能登のラウンド、5ホール終えた後、眼の前が暗くなった。
首筋と腕の冷えを感じた。
無理はすまいと思い、そこでプレーを終えた。
食堂、スイカを食べ、コップの水を3杯飲み、風呂に入って落ち着いた。
3人は18ホール回った。
五味健一人が絶好調。
ハンディ5の荒井晃は95叩き、杉本は115叩いていた。
18ホールを終えた食堂で五味健が言った。
「いいコースだネェ。また来たいコースだな」
荒井と杉本は虚ろな眼をしていた。
私は言った。
「条件は二つある。季節は秋がいい。そして部屋は1人部屋4室だ。4人で1部屋は何としても勘弁だ」
「そんな冷たい事、言いなさんな。皆なで過すから楽しいんだからッ」
「楽しくない。楽しいと思ってるのはアンタ一人。俺は苦痛だ。山崩れみたいなイビキ聞かされて楽しいと思うのかッ」
五味健は分っていない。よくも離婚しないで生きて来れたと思う。我慢の限界を超えたイビキだった。
次の日の宿泊、五味健は一人で眠った。
よく眠れた
私も荒井晃も杉本も絶好調。
杉本はこの15年間のベストスコアを出していた。
私は杉本に一つアドバイスした。
「利き腕側の肩を回すな。利き腕と反対の肩を回せ。回すよりも引っ張り上げろ。それでスウィングリズムはスムーズさを生む。力みを消す事も出来る。力みを力に変え、力がスウィングスピードを生めば飛距離は伸びる。真っ直ぐにも飛ぶ。練習場ではやるな。コースラウンドの時だけやれ。利き腕と反対の肩を使え。それでゴルフは変る」と。
杉本は素直だった。
荒井晃が言った。
「俺にも一言戴きたい」
「寝言を言っていた。意味不明の極めて短い寝言だったが、気になった。小さな叫びだった。女性の名前だったと思うが、聞き取れなかった」
荒井晃はニヤッと笑った。
体型、腰の回り120センチ、身長168センチのビヤ樽野郎に愛を語る女性いる訳ないと思うが、世に物好きはいるものだ。
そして3日目の夜、五味健のイビキは強まった。
大瓶のワインを荒井晃と2人で飲み切っていた。
襖一枚で洋室と和室を区切る部屋だった。
一睡も出来なかった。

あの3泊4日は辛かった。
3人は電車で大阪へ向い、私は飛行機で福岡へ向った。
あの日から7年が過ぎた。
コロナが終息したら能登へ行こうとの約束は残る。
濃い海の色と高き空だった。
今、五味健も荒井晃も杉本も無理せぬ日々を過す。
暑い日に五味と過した能登の旅を想い出す。
友がいる。
友と過した日々がある。
来年の秋に行ければと思う能登CCと朱鷺の台CC。
五味健はその気になっている。
荒井晃と杉本はプロが行くのであればと腰半分引いた返事をして来る。
私は行くつもりです。
コロナは友との距離を遠くした。しかし、コロナ後の楽しみは増えた。
五味健の笑顔を想う。
荒井晃と杉本の私への語り掛けを想い出す。
「それでさあ、プロ」
相談事なんてないのに相談して来る口調で言って来る。いつ迄も元気でいてくれよと想う。
現在時午後12時53分。
福岡は今年一番の暑さだ。
女房が室内のクーラーの設定を24度にした。
今迄はどんなに暑くても25度だったが24度になった。
入道雲が上へ伸び始めている。
今、五味健と荒井と杉本は何をしているのかな。
この夏、元気で過せと願う。
体調良好です。

坂田信弘

昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格

週刊ゴルフダイジェスト2021年8月24・31日合併号より