【ゴルフせんとや生まれけむ】なべおさみ<後編>「ジャンボメモリー② ジャンボに言いたい”ありがとう!”」
ゴルフせんとや生まれけむ
ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、前回に引き続きタレントのなべおさみさん。
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- ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、なべ・おさみさん。 ゴルフとの付き合いはかなり長いですね。もう50年以上になるかなあ。芸能界にデビューしてすぐの頃、大学の先輩が「お前もゴルフをやれ」って無理やり僕を三越に連れて行って、道具からウェアまで全部揃えてくれたの。昔はゴルフといえ……
ジャンボ尾崎というと「才能の塊で努力しないで勝てた」と思っている人がいるみたいだけど、それは絶対に違う。
初めて知り合った頃、プロになったばかりのジャンボはヒマさえあれば夢中で練習していた。
まだ健夫も直道も来ない。もちろん飯合の姿なんてかけらもなくて、ジャンボのところに来る人間なんて誰もいない時代だよ。
僕はバケツを持ってジャンボの打つドライバーのボールを拾っていたんだ。
バケツがいっぱいになるとジャンボのところに戻ってバケツを空にして、またボールの落ちる地点に立って飛んでくるボールを拾う。
そんなことを何時間も続けるという日々を毎日のように過ごしたんだ。誰も知らないジャンボの姿を垣間見て、本当に強い選手というのは才能だけじゃない、努力も必要なんだということをつくづく思い知らされました。
ジャンボが習志野に“ホワイトハウス”と呼ばれた大豪邸を建てて住んでいた時、誰よりも足繫くそこに通っていたのは僕だったと思うよ。
あの時は練習の手伝いというよりそれ以外のことで頼まれることが多かった。ジャンボが盆栽好きだったのは有名だけど、そもそものきっかけを作ったのは飯合だったんだよ。
彼のスポンサーが盆栽のコレクターで何百万円もする盆栽をもらってきてジャンボに自慢したら「俺、これから盆栽をやる」とジャンボが言いだした。始めたと思ったら瞬く間にハマり、ゴルフ雑誌の取材は断っても盆栽専門誌の取材は受けるようになっちゃった(笑)。
それで、僕もジャンボのために動いてあげようかなと思って調べたら日本盆栽協会というのがあったので、会長に連絡してジャンボ尾崎を入れてくれませんかって頼んだの。
向こうにしてみればジャンボが入ってくれればPRになるじゃない? 当然すぐにOKになって、それ以来、会員しか参加できない盆栽展とか販売会にも入れてくれるようになった。
ジャンボはますますのめり込むようになったんだけど、僕の仕事も忙しくなって。それでも週に3、4日は泊まり込んで研修生と一緒に盆栽を置く台作りとか水やりなんかをやったものです。
大変は大変だったけど、今考えると楽しい日々だったなあ。奥さんとは離婚して離れ離れになったけど、僕は奥さんのいた時代のジャンボも最高だったと今も思っている。
とにかく面倒見のいい親分肌だったジャンボは、晩年はアカデミーを作って若手の女子選手の育成に力を入れていたのは皆さんもご存じでしょう。
その中で西郷真央選手や原英莉花選手たちが結果を出してくれたんだからジャンボも嬉しかったんじゃないかなあ。
それを見てから逝ったのはよかったなと思うよ。 僕も87歳になったし、ジャンボもいなくなっちゃったからゴルフはもうやっていない。道具も全部処分しちゃった。
一緒にプレーをしたことはほとんどないけど、それでも自分の人生の中でジャンボ尾崎という人間といろいろな場面で触れ合ってきて、他人には見せない素の姿をたくさん見せてくれた。
それに十分満足しているから何も思い残すことはない。ただジャンボには声を大にして「ありがとう!」と言いたいね。

なべ・おさみ
1938年東京生まれ。明治大学卒業後芸能界に入り、コメディアン、俳優、司会者などで幅広く活躍。今は亡きジャンボ尾崎との交流は50年以上に及ぶ。ベストスコアは78
週刊ゴルフダイジェスト2026年11月3日号より


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