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【ゴルフせんとや生まれけむ】金原亭馬生<前編>「コンペの司会は噺家にとって一石三鳥にも四鳥にもなるおいしい仕事だったんです」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、落語家の金原亭馬生氏。

ゴルフを始めたのは二ツ目になって間もなくだから30~31歳の頃ですね。古今亭志ん朝師匠に早稲田にあった打ちっ放しの練習場に連れて行ってもらって「お前も打ってみろ」と。それで初めてクラブを握ったんですけど、握り方も打ち方もわかんないのに見よう見まねでなんとか当たっちゃった。そしたら「練習場のコンペに出ろ」って(笑)。私はダメと言ったんですけど、落語界じゃ師匠の命令には否も応もないからね、大利根カントリークラブに行ったのが初ラウンドで、帽子と靴だけ買って、貸しクラブで、確かプレーフィーが3万円くらいだったかな。

ゴルフ場がそんなに高いとは思わなくって。志ん朝師匠に立て替えてもらって、さんざんなコースデビューでしたね(笑)。で、志ん朝師匠に「いくら叩いても数だけは正確に申告しろよ」って言われたから必死に数えて、ハーフで65~66、トータル130幾つも叩いてね。「2本持って走れッ!」とか「空振りしたら、それも数に入れるんだよ」とか言われて、一日中ずっと駆け回っていたような気がしますね(笑)。40人くらいのコンペで、当然、成績はビリ。だけど面白かった。こんな面白い遊びがあるんだ、って目からウロコでした。

ゴルフの前は草野球をやっていて、落語界は師匠が「やる」って言うと、みんなそっちに流れちゃう世界だからね。「小三治ヨタローズ」とか「三平スイマセンズ」みたいなチーム名を付けて朝練で走り回っていたから、体力には自信があったんです。それが急に野球をやめて、みんなゴルフに移っちゃった(笑)。というのも、噺家(はなしか)にとってゴルフは仕事になったんですよ。表彰式の司会を頼まれるの。当時は、企業の接待コンペが花盛りだったから、噺家は、笑いを取って表彰式が和やかになるというんで、あちこちから引っ張りだこでね。

ゴルフができるって言うと、「じゃあ今度、ウチのコンペに出てよ。ついでに表彰式の司会も」ってお声が掛かる。で、司会をやって参加者と名刺交換すると、次の自分の独演会に、そのお客さんが何人か連れて来てくれるんで、コンペの司会は噺家にとって一石二鳥どころか三鳥にも四鳥にもなるおいしい仕事だったんですよ(笑)。企業のコンペといっても参加者が200人を超える大きなコンペもあって、そうなると1組目と最終組ではスタート時間が2時間以上違うから、最初にホールアウトした人たちは間が空きすぎてパーティがダレちゃう。そんなときに間を持たせるのは私らの商売で(笑)。

宇都宮CCでコンペに呼ばれたときは、桜の季節だったけど朝から雪が降りだしてね、招待客は集まったけどゴルフは無理だよってんで、幹事の人が「師匠、一席やってもらえませんか?」と。たまたま着物を持参していたので、テーブルクロスを広げて急ごしらえの高座を作り、急きょ、独演会に切り替えて笑っていただき、その後、大量に用意した賞品はクジ引き大会で配って帰ってもらったことも。そんなこんなで月に4~5回はラウンド。いま思い出してもいい時代でしたね(笑)。

>>後編につづく


金原亭馬生

きんげんてい・ばしょう 1947年生まれ、東京都出身。都立第三商業高校卒。21歳の時、10代目金原亭馬生に弟子入りし小駒を名乗る。30歳で二ツ目に昇進し馬治に改名。39歳で真打昇進。1999年9月に11代目金原亭馬生を襲名。現在、落語協会常任理事

週刊ゴルフダイジェスト2026年2月17日号より