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【ゴルフせんとや生まれけむ】前田智徳<前編>「今だから言えますが、本当はもっと早く引退して競技ゴルフの道に…」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、元プロ野球選手の前田智徳氏。

プロ野球選手はシーズンオフになると球団の納会ゴルフやチャリティゴルフに半強制的に参加させられますから、ゴルフを始めたのはプロ入り2年目、20歳の頃です。 

でも、当初は全然好きじゃありませんでした。コンペの前にちょっとだけ練習し、コンペで120点くらい叩き、コンペが終わったら「はい、終了」というシーズンオフを何年か過ごしていました。 

ゴルフに対する印象が大きく変わったのはプロ入り6年目の1995年でした。5月に神宮球場で右アキレス腱を断裂し、慶応病院(東京都新宿区)に担ぎ込まれ、しばらく入院しました。数カ月後にギプスと装具が取れ、「歩いていいよ」と許可が出たとき、山本浩二監督(当時は解説者)が関東にいらっしゃったので、思い切って電話して「食事に連れていってください」とお願いしました。そして焼き肉をごちそうになりながら「ゴルフにも連れていってください」とお願いしました。ケガのリハビリで歩くなら、芝生の上が一番いいじゃないですか。 

ゴルフにもすぐに連れていっていただき、埼玉のほうのゴルフ場でラウンドしました。そうしたら芝生の上を歩くのはとても気持ちがよくて気晴らしになりましたし、ボールを打ちながら歩くのもすごく楽しいと感じました。ラウンドが終わった後は足がうっ血してしまったので、ちょっとオーバーワークだったかなと思いましたけど、それはそれとしてボールを打たなかったらそんなに歩けないじゃないですか。本当にありがたかった記憶があります。ただし、そのとき100点以上打ったので自分に腹が立ち、「1カ月間練習しますから、1カ月後にもう1回お願いします」と頼みました。そして1カ月後のラウンドで宣言どおり100を切りました。 

その後もリハビリで定期的にゴルフに行くようになりました。まだ走ることができなかったので、とにかく歩くしかありません。傾斜があるところは気をつけて歩き、芝生の上でストレッチをしながらボールを打っていました。この時期にゴルフは楽しいスポーツという印象に変わりましたが、ケガのリハビリが思いどおりに進んだわけではありませんでした。毎年のようにケガで戦線を離脱していましたから、シーズンオフにゴルフを楽しむ余裕などなく、自分の足の状態を確認するリハビリの一環としてゴルフをしていました。

「ゴルフがちょっと面白くなってきたな」と感じ始めたのは現役時代の終盤です。そのころには自分の野球がプロレベルを下回っていると認識していましたから、「一度きりの人生で修行を続けるには、野球をスパッとやめて、競技ゴルフというのがどういう世界なのか経験してみたい」と思っていました。 今だから言えることですが、本当はもっと早く引退して競技ゴルフの道に進みたかったのです。ところが結局、引退が2013年(42歳)になってしまったので、競技ゴルフデビューは2014年になりました。この出遅れが響いており、今になって苦しんでいるところであります(笑)。

>>後編につづく


前田 智徳

1971年生まれ。熊本県玉名市出身。熊本工業高校時代は春・夏3回の甲子園出場。広島カープに入団2年目、19歳でゴールデングラブ賞に輝く。天才的打撃センスで、通算安打数2119を誇り、現役時代の異名は「孤高の天才」。引退は2013年

週刊ゴルフダイジェスト2025年5月6日号より