【名手の名言】杉本英世「頭不動のスウィングはハイカラな人のための理論だ」

レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は“ビッグスギ”の愛称で親しまれた杉本英世の言葉を2つご紹介!

頭不動のスウィングは
ハイカラな人のための理論だ
杉本英世
スウィングを作るとき、「頭は動かすな」というのが、長い間、日本でいわれてきた金科玉条だった。頭が動かなければ軸も動かず、安定したスウィングを作ることができる。そのためにトップで首の下に肩を入れていく……。英米のレッスン書にはそう書いてあったからだ。しかし、「どうも違うな」などと言い出したのは中村寅吉ぐらいからだろうか。
そして、1960年代の日本プロツアー勃興期、“ビッグスギ”のニックネームで、パワーゴルフの幕開けをかざった杉本英世に至って表題の言葉が残されたわけだ。
ハイカラとは、今では死語に近いが“洒落た”という意味で、元々は明治時代、外国人が襟の高いシャツ=ハイカラーを着ていたことから来ている。つまり、頭を動かすなという理論は首の長い人=外国人用と、杉本は喝破したのである。
杉本のこの言葉には説得力があった。というのも、杉本は米ツアーに参加した初の日本人だからである。67年、ハワイアンオープンに招待されたが、なんと杉本は3日目に寝坊して、遅刻・失格してしまうのだ。この不名誉で日本プロ協会は1年間の国内出場停止を杉本に課す。
「日本で出られないのなら、アメリカに行こう」と、単身米ツアー受験。見事に受かって、その1年間、単身で英語辞書片手に全米を駆け巡った。その時、杉本は米ツアー選手と日本人の彼我の違いを実感として知ったのである。
その経験から後年、日本人のためのレッスンを構築したが、その過程で発せられた言葉であったゆえに、説得力を持ったのである。
「レイン・カミング」と私がいうと
「お前のはLANE、雨はRAINだ」
杉本英世
1967年の秋、米ツアー「ハワイアンオープン」に、日本を代表する形で出場した杉本は、なんと朝寝坊をして失格。日本プロゴルフ協会は「あるまじき行為」と怒って、杉本を「日本ツアー1年間出場停止」にした。
困った杉本は米ツアーでのプロテストを受験し、合格。だからよく知られている杉本の日本人初の米ツアーライセンス取得は、実は苦肉の策、「瓢箪から駒」な出来事だったのだ。
ともかく転戦するうえで困ったのは、言葉の問題だった。英語はちんぷんかんぷん。辞書を片時も離さず、耳にした単語をそれで引いて覚える毎日。
一緒に行動して手助けしてくれたのは、沖縄などで米軍キャンプにいたL・トレビノやO・ムーディ、それにプエルトリコ出身のC・ロドリゲスだった。
表題の言葉は、そんな英語の勉強中の彼らとのやりとり。
日本人には難しいといわれる「R」と「L」の発音は、「レインはレの前にRをつけてから言え」と特訓されたという。
まさに、窮すれば通ず。国際派・スギモトはこうして誕生したのだった。
■杉本英世(1938~)
すぎもと・ひでよ。静岡県伊東市川奈で生まれ、川奈ホテルGCで修行。59年プロ転向。パワー時代の申し子として“ビッグスギ”の愛称で慕われた。67年、日本人プロとして初の米ツアーライセンスを得て嚆矢となった。69年には日本オープンを始め、年間6勝。試合の少ない当時としては驚異的な記録だった。通算15勝。理論家でレッスン書多数執筆。