【ゴルフせんとや生まれけむ】野村謙二郎<前編>「ひどいときは夢の中でもシャンクしていました」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、元プロ野球選手の野村謙二郎氏。
ゴルフを始めたのはプロ野球に入って1年目のオフですから89年です。当時はまだバブル景気でしたから、オフの食事会とかゴルフコンペがたくさんありました。でも、現役時代はワイワイガヤガヤやるタイプ。ゴルフを真面目にやるようになったのは現役を引退した後の41歳からです。
実はうちの親父が九州アマ3位くらいまで行った人で、小学生のときに親父の練習に連れて行かれてボールを打ったことはありました。当時は自動ティーアップ機なんてありませんから、カゴの中のボールをゴムティーの上に置く係をやらされていました。それと河川敷で親父が打ったゴルフボールを野球のグローブで取るという練習もやらされました。「ここから打つから、おまえは100歩先に立っていなさい」と。そうすれば球拾いをしなくていいじゃないですか。今ではあり得ないことですけど、それが少年時代のゴルフの思い出です(笑)。
現役時代は付き合い程度だったゴルフを本格的に始めたきっかけは、(読売)ジャイアンツOBの水野(雄仁)さんでした。水野さんが広島に来られたとき、「ゴルフに行くから一緒に回ろう」と誘ってもらったんですよ。そのときボクのスコアが100をギリギリ切ったくらいで、水野さんは70台だったんですね。「水野さん、ゴルフうまいなあ」と感心していたら、「2000本もヒットを打ってゴルフがそんなに下手だとマズイぞ」と言われたんですよ。その言葉にカチンときて(笑)、猛練習を始めました。
会員権は持っていたので、ホームコースの鷹の巣ゴルフクラブ(広島県)に足繁く通うようになりました。鷹の巣のメンバーさんで日本アマにも出たことがあるコースの主みたいな人がいるんですよ。その方がボクのゴルフのお師匠さんです。今は80歳を過ぎていますから、ボクが41歳のとき60代だったのかな。山本浩二さんの紹介で知り合って、本当によくラウンドに付き合ってもらいました。そのおかげで最初にもらったハンディキャップ17が半年くらいでシングルハンディになりました。
当時は毎朝9時に練習場に行き、常連さんたちに「今日も来ていますね」とからかわれながら夕方4時まで練習し、それでも納得できないときは違う練習場に行くこともありました。そうしたらシャンクが出始めました。それを師匠に相談したら、「シャンクが出るのは上手になっているときだから気にするな。誰もが通る道だ」と教わったんです。だからシャンクが出ても周りに迷惑をかけない右端の打席で練習を続けていたら、そこから一気に上達したんです。「師匠の教えは本当だった」と安心しました。
ところが2010~14年に監督を5年間務めた後、「また真剣にやろう」と再開したら、第2次シャンク病にかかったんですよ。「これも上手になる前兆かな」と思いながらも、ひどいときは夢の中でもシャンクが出て、飛び起きた瞬間、夜中に足がつったこともありました。名球会の人はみんな、この話を知っていて、「シャンク会の会長」というあだ名がつきました(苦笑)。

野村 謙二郎
1966年生まれ、大分県出身。88年ドラフト1位で広島東洋カープに入団。プロ入り2年目から俊足巧打の内野手として活躍。盗塁王3回。最多安打3回。05年に2000本安打を達成。2010~14年は監督を務めてAクラス2回。現在は野球解説者として活躍中
週刊ゴルフダイジェスト2025年2月18日号より